
↑関空から大阪本土へは連絡橋を使う。南海電鉄の車窓から見た、海と関空。
関西国際空港から車で30分ほどのところに、北田さんの畑はある。
高速を降りて、なだらかに上がって行く道を進むと、だんだんと細くなり、北田さんが“倉庫”と呼ぶ農園の拠点に着く。
道すがら、そこかしこの柿畑に、樹にぶら下がったまま袋を掛けられた柿を見かけた。
紀の川柿である。

倉庫の前にレンタカーを停めると、ひょこりとやや小柄な男性が顔を出してくださった。

北田さんだ。
若い。
温和そうな表情で、日焼けした肌。
さりとて、100%の農家さんっぽいわけでもない。
そんな青年。

納屋は100年以上前のもののようで、土で壁も作られている。

↑昔の印刷金型(右から読み、紀〇谷(各?)産 西川原 出荷組合 とある)
「分かるだけで、自分は四代目です。」
曾祖父、つまりひいおじいさんまでは辿れるそうだ。
北田さんは、大阪で車の整備や列車を作っていた。
祖父が倒れ、祖母一人で果樹をやりくりしていたのを見かねて、父と自分で週末だけ和歌山に帰り、農作業を手伝った。
きっかけは、弟さんにお子さんが生まれたこと。
「父にも”おじいちゃん”やってもらいたいじゃないですか。」
また、1日で5か所の除草作業をやるのがきつく、それならば、平日5日間、毎日1か所ずつ作業する方が楽だと思ったこと。
仕事を辞め、本格的に就農した。
だが、教えを乞おうとしても、実際の管理をしていた祖父はもういなかった。
「典型的な昔の家で。おばあちゃんは、補助なんですよ。だから剪定も何もしていない。主な作業は、みんなおじいちゃんがやってたから、全部、独学なんですよ。」
手伝いの2年を含めると、農業に従事して、もう11年になると言う。
逆に、周囲では、栽培を止める方が増えており、「来年やってくれんか。」と畑を譲り受け、栽培面積が増えている。
「山には山のやり方があると思ってます。それを1年1年学んでます。」