りょくけん東京

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ブロッコリー 産地訪問記

雨が降りしきる野辺山にて大いに刺激をもらう。

韮崎駅からレンタカーを走らせて1時間弱。
県境を越えて、長野県に入った。
韮崎で標高が400m。
途中、清里で1200mほど。
野辺山に入ると1300mを超える。

このあたりは、サラダ街道というらしい。

道路の両脇に蕎麦屋さんやうどん屋さん、レタス畑、直売所が点々と続く。

右のわき道に入ると上部だけ覆われたハウスがいくつも連なるのが見えた。
ここが、土屋さんの畑だった。

倉庫の脇のスペースに車を停め、倉庫の前を横切ると、たくさんの人が働いており、その中から、携帯で話している人の声がする。
その向こうには、白く大きな望遠鏡が見える。

事務所でしばらく待たせていただいた後、携帯片手に、土屋さんが現れた。

なんとなくアイコンタクトを取った。

土屋さんのメインの作物は夏のほうれん草。
同時に、ブロッコリーの周年栽培にも取り組んでおり、私がお願いしているのも、この夏の、ブロッコリーである。

電話が終わった後、事務机でお互いに挨拶した。

「私の理想は、農家と消費者がつながることだと思っています。
直接やり取りできるのが理想。
会社の創始者(永田照喜治)に初めて会った時に『りょくけんは無くなります。』と面と向かって言われました。
でも、農家さんと消費者の間に入ってまだできることがあるのかな?とも思っています。
生産側は、お客様とのやり取りも大変でしょうし、お客様は、どこに良い野菜があるのか、とかいくつもの野菜が欲しい時に、一軒の農家さんでは事足りないので。
りょくけんの場合、実店舗もありますし、お惣菜もつくっているので、なんとか継続で来ているのかな、って思っています。」

などなど自己紹介。

「自分の爺さんの時に野辺山に入植して、自分で三代目です。
親父の時に法人化して、今までのレタス、白菜から、ほうれん草に転換したんです。
その二年目に、自分もここに戻ってきて。」

野辺山は、戦後、大陸から戻って来た人たちによって切り開かれた。
八ヶ岳山麓、夏の高原野菜の産地として、名を馳せるようになったのは、レタス栽培からだ。
大規模な畑を開墾して確保することができ、一大産地である関東にほど近い。
小海線という鉄道が通っていたことも、大きな利点だったようだ。

「僕は、ここの“産地力”を最大限生かすには何が良いか考えた時、ほうれん草だと思って。」

現在、100棟の雨除けハウスでほうれん草を育てている。

「周年で雇用するようになって、何か1年中栽培できるものがないか考えて、ブロッコリーに取り組んだんです。」

最も暑い時期は、野辺山。
冬は埼玉。
その中間を埋めるために、山梨。
ちょうど、私が今日、車で通ってきたルート沿いに、段々と標高が上がるように、産地を構えているのだ。

事務所でしばらく話し込んだ後、ブロッコリーの畑へ。
少し遠いと聞いていたけれど、小海線の線路を越えてすぐだった。
150m×150mくらいの圃場があちこちにある。

一か所で2町歩を超える。

「ただ今年は雨ばかりで…。」

東京も、雨ばかりで、曇りが続くが、野辺山も同じらしい。

ただ、マルチを一面に敷くことで、地温が上がり過ぎるのを防ぎ、土がはねないので、病気や虫を防ぐことが出来るそうだ。
ブロッコリーでビニールシートを畑全面に敷く方は珍しい。
また、葉が病気や虫でやられても、ブロッコリーの場合、中身の花蕾が無事だそうで、レタスや白菜よりもずっと防除も少なくて済むらしい。

「1000年続く農業、次世代に引き渡せる農業のスタイルを追求しているので、土壌消毒は嫌いで。
近所からもらった堆肥を、こっちで完全に熟成させてから土に入れたり、
土壌の菌のバランスを整えるために、バチルス菌とか酵母菌も入れるようにしています。」

病気を蔓延させる菌を完全に抑えることはできないけれど、バランスをとることで、発症を抑えるのだ。

今年は大変だったようだが、微塵も感じさせないほどの安定感だったと思う。

同じく社長であり、様々な構想を練っている土屋さんに、大いに刺激をもらった一日だった。