今から遡ること70年ほど前の事。
農業研修で、とある青年がアメリカに渡った。
数週間の研修ののち、持ち帰ったのが数本の穂木。
植物とは不思議なもので、穂木=枝があれば、挿し木や接ぎ木をすることで増やすことが出来る。
何の穂木か。
アボカドである。
メキシコやグアテマラ、アメリカで言えばカリフォルニアなど、熱帯から亜熱帯の植物ではあるが、旬は冬。
それでも、日本の冬は、それらの国よりずっと寒いから、耐寒性のある品種を選んできた。
ベーコン。
フエルテ。
ピンカートン。
特にフエルテは、現地で大寒波が来た際にも枯れずに生き抜いたので、スペイン語で、“強い”を意味するfuerteフエルテという名前が付けられた。
私が初めて国産のアボカドに触れたのは、広島の道法さんのもの。
「わしのね、実家に生っちょるけん。」と譲ってもらい、販売した。
かなりの巨木だった。
和歌山の海南市と言うところで、苗木を熱心に作られている園地も見学させてもらったことがある。
日本の、アボカド栽培の研究で、第一人者でもある米本先生とも話したことがある(電話でだけれど)。
というか、その米本先生に、登尾さんをご紹介いただいた。
「井上さんの息子さんは継がなかったんだけどね。甥が有田でみかんやっててね。そのアボカドを枝分けしてもらってるんで、電話してみてください。」
アメリカから穂木を持ち帰った青年の名は、井上潤二さん。
その井上さんから、さらに穂木をもらって、みかん栽培の傍ら、甥にあたる登尾さんがアボカドを育てていたのだ。
このご縁で、現在もしっかりと続いている。
それから十数年が経った頃。
いつも通り、少しぶっきらぼうに登尾さんから電話があった。
「大森君な。おじさんいるやろ。そ、井上。穂木をもらったおじさん。井上の息子が。まあ、いとこなんやけどな。まだ持っとるんよ。アボカドを。本業は違うんやけどな。今年はぎょーさんなってるらしくてな。ちょっと話してみて。」
アボカドは足りていない。
早速、伺った電話番号に連絡。
「井上です。」
不動産業で、お客様を相手にしているからだろう、登尾さんとはまた違う、落ち着いた話し口。
話はトントンと進み、日本の、原点ともなったアボカドを譲ってもらっている。
アボカドは、「違う。」という農家さんもいらっしゃるが、隔年結果の傾向がある。
一年ごとに採れる年と採れない年がある。
2025年は採れなかったので、今年2026年は採れる年のはずだ。