事務所の移転をして、今日で一年。
大変だったなあ…。
「あなたは実務をほとんどしていないでしょ!」なんて通販スタッフさんに怒られてしまいそうだが…。
いやいや、電話の契約をきれいにしたり、電気やら、引っ越し業者さんの手配やらエアコンやら、それに伴う支払など、様々なものに追われていたので、大変だったのだ。
ただ、改めて、移転して良かった。
何しろ広い。
そして通販の拠点として、宅配業者さんと友好な関係を築けている。
これは極めて大きい。
銀座店とも近くなり、首都高速を使えば、片道30分足らずでたどり着くことができ、物流面での負担が減った。
倉庫 兼 通販拠点 兼 事務所。
三役を担っているし、それ以上になりうる可能性を秘めた事務所なのだ。
池袋本町という場所も気に入っている。
以前の、板橋区の小豆沢(あずさわ)もけっこう気に入っていた。
小豆沢は、川が近くを流れており、そこに小豆を運び、取引する船が多く駐留したので、小豆沢の名前が付いた。
起伏が激しく、坂道が多いのだけれど、私どもがいたあたりは坂の上に位置し、地盤が良く、関東大震災にも耐えた建物が多かったらしい。
まあ、だから、旧事務所のように、木造50年という建物が残ってしまっていたわけだけれど。
そして改めて池袋本町。
この地域は、もともと北豊島郡巣鴨村大字池袋字本村(きたとしまぐん すがもむら おおあざ いけぶくろ あざ ほんそん)と言った。
幕府の直轄領や旗本の領地、寺社の領地、そして田畑が複雑に入り組んで形成された”飛び地”ばかりの地域だったらしい。
現代においても、昔から発展した地域らしく、道も細いし、まっすぐな道もなく、碁盤の目のような整備された地域では全くない。
1932年には東京市に編入され、池袋一丁目から七丁目の一部の地域に切り分けられた。
そして、1969年、もっときれいにしようと、区割りが再度行われ、記録によると”北池袋”という名前を行政からは推奨されたそうだ。
けれど、ここの住民はそれを潔しとしなかった。
”池袋の本来の中心はこちらである”と区に掛け合い、大字池袋字本村に由来する”池袋本町”という名前を認めさせたのだとか。
”~本町”には、元々の池袋はこちらであるという町民の矜持があるのだ。
”北池袋”という駅名はあるのに、地名はなく、”池袋本町”という割には池袋駅から徒歩20分と離れているのには、そんな歴史が隠れている。
ひっそりとした地域ではあるけれど、そんなプライドも良いと思った。