戦国時代。
群雄割拠で熾烈を極めた実力社会において、武力と同じくらい重要だったのが、金であった。
戦国武将たちは、こぞって金山を開発し、山を掘った。
この時、悲しいかな、副産物(あるいはそっちのほうが多かったかもしれない)重金属であるカドミウムやら水銀やらが、掘り出されてしまい、川の水に流れてしまったのである。
一説には、山間の美味しい水であればあるほど、重金属の問題から逃れられない。
北陸から東北にかけて、山間の水で作られる田んぼのコメは、そのような事情がある。
りょくけんが、茨城にコメの産地を求めたのは、そのような理由だったと聞いている。
実際、山﨑さんのコメは美味しい。
粘り、香り、甘み。
そして価格とのバランス。
このあたりがとても優れているのだ。
大産地において、あぐらをかかなかった山﨑さんは、関東農政局や行政とも一緒になって、“基盤整備”にも力を入れた。
日本において、土地の所有権は複雑怪奇。
隣接する田んぼが、必ずしも、自分たちのものではなく、飛び飛びである。
この飛び地の問題が、日本の農業の効率を下げ、競争力を下げてしまう。
基盤整備とは、土地改良ももちろんだが、隣り合う畑はできるだけ、一人の農家にまとめていきましょうよ、という動きだ。
一つ一つの田んぼが大きくなることで、機械化を進めることができ、効率を上げることができるのである。
山﨑さんはこの基盤整備事業を積極的にリードした。
そして、借りる土地も多くなり、今や、水稲だけで70ヘクタールを持っているという。
70ヘクタールってすごい。
1ヘクタールが、100m×100m。
野球場のホームラン、スタンドまでの両翼の距離が100mなので、その大きさのすごさを実感していただけるだろう。
熱っぽく語る山﨑さん。 |
りょくけん米については、有機JASは取得していないが、山﨑さんは、茨城県で初めて有機JAS認証を得た人でもある。
農機メーカーのイセキとも協力して、機械の開発、改良にも取り組み、10年ほど前から、除草剤も使用せず、機械で刈り取ることができるようになった。
現在では、「化学合成された農薬はほとんど一切使用していない。」と言う。