りょくけん東京

りょくけんだより
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コラム

照喜治さんと私6。

そうして、株式会社りょくけんの社員になった。

2004年6月2日のことである。
まだ28歳だった。

浜松の三方原台地の中でも少し上がった山の中。
都田(みやこだ)という、ひっそりとした森や畑に囲まれたところに社屋はあった。

街中よりも少し標高が高く、めったに雪の降らない浜松の中にあって、よく都田は降雪にも見舞われた。

社屋

働き出して、一カ月もたったころ、広い会社の駐車場で、見たことのある人がぼそっと立っていた。

―照喜治さんだった。

レストラン関係の方だったか、テレビなどメディア関係の方だったか、お客様として連れてきていて、次郎さんもその相手をしていた。

「あ、会長だ。久しぶりだな。」

照喜治さんは、りょくけんの会長だったので、社内では、会長と呼ばれていた。

なんとなくりょくけん社員は疎遠にしていて、距離をとっているような感じがあった。

客人たちを連れて、社屋を出ていく照喜治さんと声を交わしたいと思いつつ、社内の空気を尊重した。

見たことのあるブルーのデニムシャツ、ブルーのデニムジーンズ。

ぼそぼそとしゃべるその姿は、まさしく、ユニクロの店長コンベンションのプロモーションビデオで見た、永田照喜治その人だった。

それから数日後。

「会長のところ行くけど、一緒に行く?」