スプレイヤーのある倉庫からまっすぐに進み、左に大きく曲がった歩道を行くと、眼前にぐわーっと河内晩柑の木々が現れた。
よく晴れた青い空に、緑の葉と黄色の果実が映え、とても美しい。
「きれいですね~」
中腹のあたりに、二人、収穫している影が見える。
「大森さんが来るというから、じゃあ、その日に収穫しよーわい、ということになって、今収穫しとるんよ。あれは息子とお母さん。私も大森さんがくるまでしとった。」
四国山地の一端をなす、山々の一部を開墾した大規模な斜面の畑である。
2ヘクタールくらいある。
時折やってくる風が心地よく、鳥たちのさえずりも、気持ち良い。
中腹まで上がったところで、息子さんと合流。
「そういえば、代替わりされたんですよね。」
60歳を過ぎた浩行(ひろまさ)さんは、息子さんに昨年から収穫も経営も譲った。
「タカマサと言います。崇敬の”崇”に新鮮組の”誠”でタカマサと読みます。なかなか読めないですよね。」
「お二人とも立派なお名前ですよね。」
息子さんは30代半ばの若手で、お父様よりも二回りくらい大きい、がっしりとした体躯だ。
話しぶりから、所作から、他の仕事もされていたのかなと尋ねると
「建築業をしていました。手伝うようになって8年は経ちましたかね。」
実は、二宮さんの自宅や周りの畑は八幡浜(やわたはま)にある。
その八幡浜から、ここ愛南町は、2時間くらいの旅程。
自宅から畑が離れているパターンは日本では少なくないが、2時間は、遠い。
「なんで愛南町にも畑を持つようになったのですか?」と聞くと
「八幡浜は、規模としては狭いんです。だいたいが、愛媛の北は、大規模農家が少なくて、畑があまりない。南の愛南のほうは規模が大きいんです。」
午前中に見た畑は広いと思ったけれど、ここに比べると確かに狭いし、複数の品種を1か所にたくさん植えていた。
「規模を拡大したい、思うたと時に、この畑を紹介されて。」
「なるほどですね。」
河内晩柑は、熊本の河内地方が原産の柑橘である。
晩生の柑橘で、河内晩柑の名前がある。
ただし最大の産地は、愛南町だ。
それぞれ名称をつけて販売されることが多く、「ジューシー柑」ともいう。
愛南町でも、美生町は「美生柑(みしょうかん)」、愛南全体では、「愛南ゴールド」といった名称を付けて差別化を図っている。
グレープフルーツに似ているが、苦みが少なく、内袋と一緒に食べても気にならない。
糖度もあって、「ジューシー柑」と名がつくくらいなので、水分も多い。
浩行さんが収穫した河内晩柑から一つ選ってくれ、食べさせていただいた。
内袋ごとバクバク食べていたら、
「良く食べられますね。わたしらは皮をむかんと食べられん。苦くないですか?」という。
「いえ全然。大丈夫ですよ。」
でも皮をむくともってお美味しいのかも、と思い、袋をむいて食べると、果肉のジューシーさと甘さがストレートに伝わり、ずっと食べやすい。
そういわれれば、皮ごと食べたときにあるほんのわずかな苦みも全くなくなる。
「美味しいですね!」
「まだ少し早いかな、と思ったんですが、これなら案外いけますね。」とちょっと謙虚な二宮さん。
最近は市場性が高くなり、単価も上がってきているという。
「あれそうでしたっけ?なんか河内晩柑ってお安かったような気が。」
同じ時期のカラマンダリンや6月のハウスみかんに比べるとずっと安い柑橘だが、最近では、市場でも高値で評価してくれるようになったという。
まあ、適正な価格になってきた、というところだ。
「どうですか、農家になってみて。」と崇誠さんに聞くと、
「良いですよ。農家。労働時間とか大変ですけれど、時間もすべて自分で決められるありがたさがあります。サラリーマンやってから農家につくとそのありがたみが分かる。」
「そういえば、河内晩柑は6月だと思っていたんですけれど、4月にはとるんですね。」
「4月末からGWにかけて、一回とるんです。先行して大玉になっているものがあるので。」
なるほど。
「今は大玉だけをとって、そのあと、いまはまだ小さいこの玉が太りよるんです。それが後半のもの。だいたい5月末から取り始めるんで、そうですね、6月の出荷になります。」
「へえ。そういえば、花のつぼみもありますね。」
柑橘はGWのころに、花を咲かせる。収穫は後でも先でも、品種にかかわらず花を咲かす。
花と果実が同時にある、というのはあまりないことだが、河内晩柑くらい収穫時期が遅いと、そういうことが起こる。
このころが、もっとも病気や果実に傷を残す時期になるそうで、1回目の収穫が終わった後、防除(=農薬散布)に入る。
花に虫がついたときのつつき方や足のかけ方で、のちのち果実に傷が残るのだ。
それを防ぐための防除。
二宮さんの畑は畝と畝の間も道をきちんと作っているので、SS(=スピードスプレイヤー)という搭乗して散布する車が入りやすいようにしている。
大規模農家ならではの工夫である。
「そもそも二宮さんを紹介してくださったのは、道法さんですよね?」
道法は、りょくけんに所属する前、広島果実連の指導員として長らく務めていた。
広島に限らず、柑橘関係のコネクションが豊かだった。
「そうそう、最初はユニクロさんの伊予柑から始まってね。」
「あ、そっからだったんですね。」
「道法さんは独立して、海外もいろいろいっているらしいね。」
崇誠さんがちらちらと腕時計を見始めた。3時半。
「そろそろ出られたほうが…。」
そういえば、空港まで3時間。
レンタカーなどを返す時間を考えれば、ぎりぎりの時間になっていた。
「あ、本当だ、すみません、ありがとうございます。」
中腹よりも上にいたので、急いで、山を下った。
浩行さんが、SSのある小屋まで送ってくださった。
日差しもあったからか、肌がほてっていて、睡眠時間も少なかったので、松山空港までの道のりは危険極まりなかった。
なにせ眠い…!
そしてぎりぎり。
松山に入って、空港に近づくと、渋滞も発生。
19時出発の飛行機に、18時48分に空港に滑り込んだ。
行の飛行機をチェックインする際に、帰りの飛行機もチェックインしておいたので、なんとか間に合った。
4月28日金曜日、愛媛の出張だった。