再び、海岸線の道を車で走った。
かと思えば、再び山道へ。
どこもきれいだなあと思いながら。
新しめの陸橋を走っていると、右手に、これまた美しい段々畑が見えた。
農道が通り、石垣が組まれ、基盤整理された段々畑だ。
陸橋をそのまま右に降り、段々畑の中腹にあるハウスの前で車を停めた。
ハウスの前で、渡部さん、その人が私を迎えてくださった。
「久しぶりだねー。」
ここまでずっと案内してくださった、渡部さんの奥様から、車の中で、ヘリコプターで福岡の病院まで運び込まれたことを聞いていた。
「前に来た時、ここも案内したっけ~?」
前に来たのは、やっぱり15、6年前の事。
記憶の中では、このハウスは無かった。
基盤整理もされていなかった。

ハウスの中で、スナップエンドウの説明をしてくださった。
そのきびきびした俊敏な動きを見て、少々意外に思ってしまった。
「渡部さん、ヘリコプターで運ばれた割にとても元気ですね!」
「ああ、あれね。あれは、水のせい。ここいらの水はカルシウムが多くて、どうしても腎臓とかに石ができやすいんだ。
だから今は、カルシウムを除くフィルターを付けて、水を飲んでる!」
どう見ても、元気そのものだ。
スナップエンドウのような豆野菜は、以前ならば、長期収穫ができなかった。
ツルを上の上まで伸ばした後、生長点を切ると、根元からまたツルが伸び、そこにまた花が咲き、スナップエンドウができる。
鹿児島の方から、この技術が導入されたらしい。
「永田先生に出会った頃に、スナップエンドウを始めてね。ここにも立ち寄ってもらったんだ。
そしたら、一口食べてね、『うん、美味しくないですね。』って先生に言われてね。
なぜかと言えば、それは、化成肥料のやり過ぎ!
先生に言われて、肥料の量自体も減らしたし、化成を止めて有機のものに切り替えたの。
そしたら、4~5度しかなかった糖度が、今は7~10度くらいにまでなるようになったよ。」
「良いですか、食べてみて?」
「ああ、いくらでも食べて!」
大ぶりで、いかにも美味しそうに見える。
葉搔きを丁寧に行い(これも照喜治さんが教えてくれたそう)、整枝して、スナップエンドウの実を手前に出し、日が当たるようにする。
話している間にも、ちゃっちゃと整枝作業と葉搔きを行っている。
スジはさほど気にならない。
これは収穫仕立ての特徴だと思う。
収穫後、段々と丈夫になるにつれ、固くなり、スジが形成されるのではないかと思う。
確かに美味しい。
「ここはこのくらいにして、隣。隣のハウスを見に行こう。」

隣のハウスは、もっと広く、連棟。
5反くらいある、広いハウスで、レタスが植えてあった。
西日が当たり、心なしか少しレタスが切なく見える。

「今年は、レタスが安くてね。外食産業が厳しいのか、ドカンとトラック一台レタスを運ぶようなことがないみたいだね。にゃあ、母ちゃん。」
今年は、大きな台風など災害がなかった。
農産物が順調に育ち、レタスも巷にあふれて、値段が安いのだと言う。
「え?そうなんですか?初めて聞きました。」
野菜が安いー。
値上げばかりで、野菜に限らず、何かが安いと言う実感は、恥ずかしながら、私にはなかった。
冬は、寒い中で育つので、ぎっしり詰まったレタスになる。
人によっては、重くて固いと言うのだけれど、歯ごたえがあって、甘みがしっかりあり、苦みが無くて美味しい。
ハウスで育てることによって、露地ものより柔らかく育つ。
「いくつ要るの?いくらでも持って行って良いよ~。」
いやいや。
聞けば、11月末から収穫が始まるらしい。
来期は、クリスマスに向けて、あ、そうだ、ロメインレタスとか栽培を頼んでみようかな、と勝手に妄想。
この日向けと、赤土と、ハウスであれば、かなり美味しいロメインレタスができるだろう。
ハウスを出て、少し高いところまで行くと、渡部さんの息子さんがトラクターで畑を耕耘しているのが見えた。
今日一日、訪れた農家さん全件で、ご子息が就農していて、少し嬉しかった。
一番高いところから、渡部さんと海を見渡した。

「ここと一番下のあそこ。あそこにもレタス畑があって、平均すると3度、気温が違う。だから、作付けをずらして、レタスの長期採りができるんだ。」
「先生がね。電話くれたんだ。ずっと気にかけてくれてたみたいで。そのほんと数日後に、まことさんから電話があって。『亡くなりました。』って。」
まことさんは、私の元上司で、師匠の一人で、照喜治さんの長男。
笑顔だった渡部さんの表情が曇り、たちまち思い出したように目に涙を浮かべた。
西日がまぶしい。
「まことさんが言うにはね、亡くなる前に、何人かに病室から電話をかけてたみたい。」
そうかあ。
「もう少し、世間的にも取り上げて、評価されて欲しかったですよね。照喜治さん。」
「そうそう、そうなんだよ。そういえば、天草にも連れて行ってもらったなあ。『ここが私の故郷です。』なんて言ってね。」
海から潮風が吹き込み、赤土。

故郷である天草が近いこともあるかもしれない。
照喜治さんは、この地と人が本当に好きだったのだろう。
もらい泣きが大得意なので、他の事を考えるようにして、泣かないよう踏ん張った。
海も山も畑もきれいだった。