りょくけん東京

りょくけんだより
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でじま ヒノヒカリ

田尻さん。

愛野のメインストリートを少し中に入ると、たちまち細い道が入り組み始める。
右に行ったり、左に行ったり。
舗装された道路には、風で吹き飛んでしまったのか、客土した赤土があちらこちらに吹き飛んで、跡になっている。

客土も、ただじゃなかろうに…。

畑も田んぼも斜面を整地し、節目節目に石垣が組まれている。

そうこうしているうちに、お米の生産者である田尻さんのご自宅に着いた。

これまた立派なお家である。
見るからに広そうな建物に、立派なしゃちほこが、屋根の両脇に鎮座している。

渡部さんに続いて、敷地内にレンタカーを停めると、昼時にもかかわらず、倉庫の中で、田尻さんが待ってくださっていた。

「遠くから、よくまあ、お越しくださいました。」

ニコニコしながら私を迎えてくださった。

倉庫の中には、箱詰めされ、出荷を待つじゃがいもがパレットに積まれている。
気になる。

挨拶を済ませた後、早速質問。

「じゃがいもも作られてるんですか?」

「でじま、にしゆたか、あいまさり。デストロイヤー。色々作ってるよ。」と仰ったように思う。

私は、前職の最初の任地が下関だったので、北九州の言葉には慣れているつもりだ。

が、ちょっと分からない。
母音が少し変化しているような…。

倉庫の裏から、でじまを割って持ってきてくださり、私に差し出してくれた。

「ちょっと、ちょっとなめてみてください。」

多分、そう言われたと思ったので、躊躇せず、じゃがいも(でじま)の内部をなめさせてもらったが、あまり分からなかったので、かじって食べた。

「甘いでしょう?」

でんぷん質の塊なので、咀嚼するうちに、たしかに甘くなっていく。
少し比較の対象が無くて、なんとも言えなかったのだけれども(あまりじゃがいもを生で食べたことがない)。

「ヒノヒカリを譲っていただいてありがとうございます。」

本題に切り込んだ。

「ヒノヒカリは、だんだんと作る人がいなくなってて。あまり取れないから。二袋、少ない。」と田尻さん。

しつこいようだが、そのように仰ったと思う。

「昨年まで、無肥料・無農薬で作っていたんですか?今年は農薬は使用されてるんですか?」と聞いた。

昨年まで、自然栽培=無肥料・無農薬だったと聞いていたからだ。

「米は、タニシさえいれば、農薬が要らないんだ。それまでの管理をきちんとすれば。」

渡部さんに助けを求めた。

「タニシが出てくれば、雑草を食べてくれるので、もう農薬は要らない。そのタニシを殺してしまう農薬も要らない。その前の除草さえしておけば大丈夫。」と訳してくださった。

「肥料はどうしてるんですか?」
「有機を、有機を少し入れている。」と倉庫の外にある肥料の袋を指さした。

「甘みがあって美味しいこともあるけれど、美味しさが変わらないんだよね、年が明けても。1年経っても変わらない。」

「それは、やっぱり晩生だからですかね? 栽培期間が長いから?」

ヒノヒカリの収穫は暖かい九州であっても、10月末。
出荷は11月頭にまでずれ込む。

関東のコシヒカリであれば、8月収穫だ。

「ヒノヒカリが長崎の気候に合っているということと、やっぱり田尻さんの栽培方法があると思いますよ。肥料をすごく少なくしてるから。」と渡部さん。

「送った人は必ずもう一回返ってきてくれる。美味しいって。」

リピートが絶えない。

「ちなみに、田尻さんの田んぼも、赤土なんですか?」

「あれは、よそから持ってきた土。私はそういうことはしない。もともとの黒土だ。」
少しだけ語気を強くした。

関東で言う黒い土とは違うような…。
後々、航空写真で見ても、関東や北海道の十勝で見るような黒い土は無い。
赤土と対比して、黒土と呼ぶのだろうか…?

御年70。
もう50年以上、農業に携わっている。

皮膚がカチカチで、手とその爪には、もう落ちないんだろう、土がついて、もはや土の色のよう。

なんだか、照喜治さんを彷彿とさせるような。

笑顔のかわいらしさも含めて。

農業で、悟りのようなものを持った人は、きっとみんなこんな感じなのだろう。

もっともっと話を聞いてみたかった。