恵那から再び小牧まで戻り、岐阜市に入る。
そのやや西に、本巣市はある。
岐阜の柿にご縁を与えてくれた関谷さんがそこにいる。
(もっと言えば、名古屋で”中級野菜ソムリエ”の講座に通っていた時に知り合った農家さんから教えてもらった方なのだけれども。
同期生、みんな元気かな。)
”ポット柿”と“陽豊柿”、”本巣”の3つのヒントだけで現地に向かい、聞き込みを繰り返して辿り着いた農家さんだった。
インターを降りて、ああ、そういえばこの道、何度も往復したよなあ。
大きな道を左に入ると細い道になる。
そのすぐ右に、関谷さんのご自宅がある。
広い庭。
その隅には梨畑があり、幸水や豊水が生る。
台木が、長十郎だそうで、枝によってはまだ長十郎が残っている。
一世代前の赤梨で、今となってはとても貴重だ。
畑の脇に倉庫 兼 選果場があり、畑の反対側には、母屋がある。
古くからのお屋敷なのか、趣があり、そしてでかい。
呼び鈴を鳴らすと、中から、ヨソヨソと歩き、ドアを開けてくださりそうな人影が見えた。
昨年から腰を痛めたと聞いていたけれど、それだけではなさそうだ。
「久しぶり。東京で会って以来だね。十年ぶりくらいか。少しは老けたかね。」
私の顔をまじまじと見るなり、そう言い放たれた。
気にしているのに。
「まあ、上がって、上がって。」
広い玄関の脇にある応接室に、いつぞやと同様に通された。
古い外観のお屋敷だけれども、応接間はリフォームしたのだろう、真新しい洋式の部屋で、造花と生花で華やかに飾られている。
「相変わらず、きれいにされてますね。」
「いやいや、まあ、座って。」
ふかふかのソファに座ると、関谷さんが少しかしこまり、頭を下げ、言った。
「長い間、お世話になりました。」
「へ?」