長男の発言に戸惑いながら、いったん出口を抜けロッカーの荷物をピックアップした。
昼間は全く気付かなかったけれど、出口の向こうには、なかなか魅力的な商業施設が続いており、ユニバーサルシティウォークというらしい。
そのままそこを通り抜けていくと、ユニバーサルシティ駅というJRなどが入っている駅まで辿り着く。
ユニバーサルシティウォークの食べ物屋さんの案内を覗くと、4階には“TAKOPA”と称したエリアがあり、たこ焼きパーティーならぬ”たこ焼きパーク”の略だそうで、6軒ものたこ焼き屋さんが入店していることが分かった。
そこで、待望のたこ焼きをいくつも購入した。
私は、どうしても明石焼きの美味しさを息子たちに伝えたかったので、明石焼きをセレクト。
タクシーで予約していたホテルに着くと、ソファベッド2つと二段ベッドが二つ。
かなり希少な、6人が一部屋に泊まれるホテルであった。
なぜか、カラオケが付いており、3台の液晶画面で楽しめる。
24時まで営業している、関東でもなじみのあるスーパーが、道路を渡ってすぐにあったので、一人、飲み物と朝食を購入。
「安いなあ…。」とほっとした。
ホテルに戻る。
呼び鈴を鳴らしても、開けてくれない。
何度も鳴らしたが、開かない。
すでに業務を終えていたフロントの方が、中からわざわざ出てきてくださり、ドアを開けてくださった。
感謝。
なぜ開けてくれなかったかはすぐに分かった。
大音量でカラオケを楽しんでいたからである。。。
「あんなにへとへとだったのに…!」とつぶやくと
「音楽の力は偉大なんだよ!」と長男。
色々突っ込みたくなった。
ホテルのルールで24~8時はカラオケ禁止。
外には、まったく音が聞こえていなかったので、24時まで歌っていて良いことには、素直に納得。
6か所あるベッドの場所をカラオケの点数で決めることになった。
ー私がめでたく、一番であった。
24時を過ぎた頃、妻の「さ、おしまい。寝るよ~」の一言で、さすがに就寝。
長い長い一日だった。
翌朝、7時には起きていて、朝食をとると、8時からおもむろにカラオケがスタート。
ハッピーバースデーも歌い、15の夜を歌った。
でも長男はトイレに入っていた。
朝一、向かった先は、大阪城だ。
ホテルから徒歩圏内ということが調べてみて分かった。
周辺には府知事公館やらNHKやら府警、府庁も勢ぞろいしており、なるほど大阪城の周りが大阪府の中枢なのだと思った。
大阪城は、石垣の大きさが度肝を抜かれ、場内の博物館も、歴史好きの私には堪らない充実ぶりだった。
大阪城は、豊臣秀吉が築城したのだけれど、大坂冬の陣・夏の陣を経て、落城、焼失している。
その後、大阪城を埋め立てるような形で徳川秀忠が再度築城している。
先の世界大戦の空襲で焼かれ、またも焼失。
今ある大阪城は、戦後、建て直されたものだ。
私はそれが、てっきり徳川政権下のモデルを再現したものと思っていたが、豊臣政権のものを元にしていることを知った。
よく文書や絵図が残っていたものである。
しかも、拝観料が、中学生以下は無料。
前日、とても物価が高い場所で過ごしたせいか、感動すら覚えた。
大阪城からは徒歩と電車を乗り継ぎ、通天閣へ。
登りはしなかったけれど、周辺の、串カツとお好み焼きを提供してくださるお店でお昼を食べた。
観光の方向けの食事屋さんかもしれないが、我々にはぴったりだった。
ソースの味の違いやふわふわのお好み焼きや、とろとろのスジ肉のどて焼きはとても美味しかった。
よく言われることでもあるが、ソースの色合いは薄いものの、塩味は濃いような気もした。
暑さもあって、のどが渇く。
新今宮駅に向かう。
道が分からないので、パチンコ屋さんの前で煙草をふかしている女性に尋ねた。
「あっちやねん、普通に。」
子どもがいるのを見て、煙がそちらに行かないよう手で払いながら、バリバリの大阪弁で答えてくださった。
これこれ、この大阪らしさ。
USJだけでは絶対味わえない。
気に入ったのか、四男がニコニコしながら、その後、ずっとリピート。
「あっちやねん、普通に。」×10回くらい。
さすがに電車に乗った後は、地元の方に失礼かもと思い、止めさせたけれども。
新今宮から西九条駅まで行き、乗り換えたら、たった2駅で、ユニバーサルシティ駅だった。
早朝カラオケも、大阪城も、通天閣周辺も楽しんだので、USJに着いたのは15時近く。
それでも、昨日、乗り損ねた、ミニオンのハチャメチャライド、映画SINGのショー、セサミストリートのかわいいアトラクションを堪能。
ハチャメチャライドの前座の映像で、怪盗グルーがちょっとしたギャグを言うのだけれど。。。
笑っていたのは私だけだった。
英語の字幕は付いているものの、日本人が少数派であったことを如実に物語っていた。
実際、ありとあらゆる日陰で、床に直に座る集団がたくさんいて…。
気持ちは分かるのだけれども。
スタッフさんの指示に、少しでも反応が遅いと、即、英語で指示が来た。
「パパ、プッシュ、プッシュ!」
SINGのショーは素晴らしかった。
実際の映画(吹き替え版)でも、ミーシャが歌っていたり、スキマスイッチが歌っていたり、結構驚いたものだけれど、
実際に歌っている方が目の前に来て、ハイタッチをしてくださったのは、思い出に残る。
18時過ぎに、単独行動していた長男とも合流し、思い出をたくさんくれたUSJを後にし、18時30分の電車に乗って、空港に向かった。
ここで、しでかす。
大阪駅で乗り換え、大阪梅田駅まで歩き、宝塚行きの宝塚本線に乗り、蛍池という駅に向かう。
大阪駅と梅田駅が異なる駅で、梅田の方が栄えているとは、百貨店業界を少なからず見聞きしてきたので、分かっていたつもりである。
が、JR大阪駅には、もう一つの宝塚行きの宝塚線が走っており、そちらに乗ってしまった。
通勤、通学で混みあう社内に、家族6人、少し無理矢理に。
6人無事に乗れたことにほっとしたのも束の間、路線図を何度見ても、蛍池という駅名がない。
東京でも、中央線と中央本線は違う。
宝塚線と宝塚本線も違うのではないか?という頭も、ちょっと前まで持っていた。
だけれども、JR大阪駅には、”宝塚本線”の案内板は見当たらず、宝塚線と宝塚本線の二つがあることまで認識できなかった。
「空港に行きはるんですか?」
携帯電話の乗換案内と路線図を一生懸命に見比べている私に、声を掛けてくださった地元のご夫婦がいた。
「はい、、、でも僕、間違えましたよね…。」
「え?」とそこで、妻が気づく。
「ええ。そもそも電鉄会社が違ってて。JRと阪急なんですわ。大阪駅も、大阪駅と大阪梅田駅があって。
宝塚線も二つあるんですわ。」
ある程度、認識していたのだけれども。。。
「でも、この伊丹駅という駅から、伊丹空港には行けそうですよね。」
「はい、ワンチャン市内バスも出てますわ。」
「32分、かかるようなので、タクシー使おうかと。」
「あ、それが良いかも分からん。」
「ケチって、直行バスじゃなくて、電車にしたんですが、失敗しました。」
「勉強料やね。」
次回は間違えん!
伊丹駅に着き、降りる間際に、ご夫婦に頭を下げた。
「あっち、あっちの方向の改札でタクシー捕まえられるから。」
なんだかんだと、伊丹空港にも無事に着き、20:20発のANAに乗機。
機体が変更になっており、座席も変更になっていたので、戸惑ったけれど、特に何があるでもなく、羽田空港に着いた。
長男は、ずっと社会のドリルを開き、勉強していた。
我が息子なら、えらいものである。
駐車場に停めていた自家用車に乗り込み、一路、自宅へ。
幸い、羽田からは30分ほどの距離にある。
家に着き、風呂に入って、寝床に就く。
充実した二日間だったけれど、さすがにへとへとである。
大阪には、大好きな農家さんもいるし、通販のお客様もいる。
世話になった先代の社長もいる(孫が生まれ、お爺様になったとか)。
会いたいし、会わせたかったけれど、今回は、そこまで我は通せない。
得意の公私混同は、今回は見送り。
また、次回。
先に床に就き、うつ伏せで寝息を立て始めた四男が目に入った。
「あっちやねん、普通に。」
と耳元で囁いてみた。
瞳を閉じたまま、口元がにやり。
たまらなく、いとおしく思うのだった。