該当の場所に辿り着いたが、ここは違う。
りんご狩りもブルーベリー狩りも受け付けているが、ここではない。
ノートPCを開き、住所録を再度、目を見開いて調べた。
大島ではなく、元大島だった。
乱視か老眼が進んでいるのだろう…。
住所を入れ直したところ、ピンポイントで住所が出たので、車をかっ飛ばした。
なにせ、15時半に松川を出発せねばならない。
信号を右に曲がり、しばらくすると、中平さんの、見たことのある屋号と看板が見えてきた。
わき道に入り、少し入ったところに車を停めさせてもらった。
ご自宅の裏には梨畑もある。
縁側で、お孫さんと一緒に話していたのを覚えているのだけれど、それらしい縁側がない…?
気配がないので、携帯電話を鳴らし、不在着信だったので、ご自宅の電話を鳴らした。
「あ、もう来とる?」
玄関まで行くと、朗らかな笑顔で、ご夫婦で迎えてくださった。
中平(なかだいら)さん。
お年は召したけれど、背筋はピンと伸び、足取りもしっかりしている。
「上がって上がって。暑いけ。」
畑を見たいけれど、きっとこの時間は暑いので、控えたいのだろうと咄嗟に思った。
お言葉に甘えて、ご自宅にお邪魔することにした。
「ごめんなさいね、びしょったいところに。」と奥様が言う。
「いえいえ。すみません、お忙しいところに。」と少しきょとんとしながら私が言うと
「いやいや忙しくなんかないのよ、二人でテレビでも見てたところなんだから。あ、”びしょったい”っていうのは、方言で、”片付いていない”という意味。」
なるほど。
松川や飯田の方言は、浜松のそれとよく似ている。
今でこそ、県が違うが、私が察するに、山も川も谷もあるけれど、三河(愛知県南部)、浜松(静岡県西部)、伊那・飯田(長野県南部)は、古くから人の交流が盛んだったのだと思う。
川を下ったり上ったり。
山を越えたり、谷を越えたり。
例えば、大河ドラマ「女城主 直虎」。
井伊家の跡継ぎだった、松壽丸(井伊直政の父)は浜松の井伊谷を脱出して、長野県南部、伊那の豪族であった松岡家に身を寄せている。
山越えのルートは古くから伝えられてきたのだと思う。
その、松岡家から、何かの手柄を立てた時に、この”元”大島一帯の土地を与えられたのが、中平家である。
「中平さんは、本家なんですよね。」
私が切り出した。
標高450m。
松川町にあって、一番低い標高。
それはなぜかと言えば、ここから始まっているからである。
分家や親戚が増え、上へ上へと開拓し、今の松川町が形成された。
だから、“元”大島。
やがて、松川町の役場が側にでき、小学校なども近くにできて来る。
元々、隣の山吹に属していたのを、住民らの願いで、松川町に編入された。
「だって、そりゃそうだよ。山吹の役場まで何十分もかかるのに、そっちは数分のところにあるだから。」
その間、奥様は動く動く。
あれよあれよと温かいお茶が出てきて、お茶菓子が数種類、きゅうりのお漬物は二種類(普通? & ビール漬け)机に並んだ。
「あ、きゅうりきゅうり~」と心の中で叫びながら、たくさんつまんだ。
すると「まだあんまり浸かってないかもしらんけど。」としょうがの味噌漬けまでお持ちくださった。
こちらも美味しい…!
「今年は、梨の生育はいかがですか?」
「なにせ、暑いけねえ。今日も朝だけ作業してね。今は休んどる。暑いから、(果実の)日焼けが多くて。」
「去年は最悪だったよ。本当に正品が無くて。」と奥様。
「でも、市場価格が高いみたいですね。」
「そう、すごく高くて。かえって、りょくけんさんみたいなところの方が安くて。」
少しだんまり。
りょくけんは、農家さんと消費者の間にいる。
「でも、中平さんの梨は美味しいですよね。雨が多くて、他の産地が水っぽくて美味しくない時でも、美味しいですよね。」
「そう。それ、他でもよく言われるんよ。」と半ば困った顔をする中平さん。
「俺もなんだか知らんけど、ここの梨は『うまい』って。」
梨の木は太いし、棚だってきれいに整備されている。
何もしないって言うことはない。
不断の努力が何年も詰まっている。
それに加え、他産地よりも、例えば関東も梨の栽培が多いが、標高はほぼ0m地帯。
標高が450mもある梨の産地は珍しいのだ。
標高が高いと、光が強く、昼と夜の気温差が大きい。
緩やかな斜面にあるから、水はけも良い。
雨が多くても、さっと水が引くから、品質の良い梨ができる。
そしてもう一つ。
中平さんにとっては、もはや当たり前なのかもしれないけれど、ホルモン剤を使用していない。
梨の最需要期は、お盆。
その頃が最も高値が付く。
通常に栽培していては、お盆の頃にとれないので、成長を促進するホルモン剤を使うのが、普通なのだ。
南信州の産地では、ホルモン剤は使わない。
じっくり育つので、味も乗るし、日持ちも良くなる。
そして、二十世紀梨を持っている。
東日本では珍しい。
肌が弱いので、袋を掛けて仕上げるところ、中平さんのところでは、半透明の袋を使い、光合成を活発化させ、糖度を上げるのだ。
これがまた美味しい。
酸味もあるし、甘みもあるからだ。
9月の中旬からは、南信州の育種場で生まれた“南水”も始まる。
南水は、幸水や豊水よりも糖度が2~3度高く、日持ちも抜群に良い赤梨。
頭が少しぼーっとしていたかもしれない。
色々話していたら、16時を過ぎた。
「すみません、ちょっと帰りの新幹線の時間がありまして…。」
そそくさと荷物をまとめ、玄関口に出ると、手土産をくださると言う。
「何してるだっ」
少し時間がかかっている奥様に、中平さんが催促をしている。
「何してるって! 遊んでるわけじゃないよ…!」
私にきゅうりとしょうがのお漬物を包んでくださっていた。
とても申し訳ない…。
「では、今年もどうぞよろしくお願いします!」
「生きてる間はつくるから。」とニコリ。
言葉に詰まる。
飯田や、阿智まで行きたかったのだけれど、まったくかなわず。
17:59佐久平発の新幹線に乗るため、私は再びレンタカーに乗った。
が。
やっぱり長野の道は難しく…。
辟易とするくらいトラックが多く、時間短縮はならず、カーナビの言う通り、2時間以上かかって佐久平駅に辿り着いた。
18時12分。
長男に『ごめん、新幹線乗り遅れた。9時に家に着く。ごはんは何とかするから。ごめんね。」と連絡した。
「ごはんだけ炊いといた。」と返信があった。
最寄りの駅に着いて、そそくさと閉店間際のとんかつ屋さんに立ち寄り、とんかつとキャベツを頂いた。
家に帰り、みそ汁を炊く。
中平さんに頂いたきゅうりの漬物を切って添え、息子4人と夕ご飯を食べた。
「このきゅうり、父ちゃん(が作ったの)じゃないね。」と長男。
「そうそう、今、いただいてきた、長野で。」
「美味しいじゃん。」
「そう、美味しいんだよ。いっぱい食べてしまったら、いただいてしまった。」
「へえ、良いじゃん。」
今朝は、上田にいたことが随分と昔に感じるような、長い一日だった。