佐々木さんはお忙しかった。
松川とりょくけんをつなげてくださった方なので、松川に来たからにはご挨拶したい。
私が、会社の携帯電話を誤って真っ二つにしてしまったせいで、ここ2年間で、知った電話番号が分からない。
家の番号は分かるので、ファックスをしておいた。
明日、松川に行くので、少しお邪魔したい云々。
佐久駅に着いてすぐ、佐々木さんが電話をくださった。
「昨日ファックスいただいて。今日、松川にいらっしゃるの? 今日だけ? そうですかぁ。。。ほいでな、私も今日人と会う約束があって。JICAの研修の方がアフリカから松川に来るもんで。。。」
思いがけずJICA(じゃいか)という名称を聞いた。
私も外国語学部の端くれ。
就職試験も受けたことがある。
ーとても、、、いや、激しく難しかった。
アフリカの方がいらっしゃる!
どのアフリカの方々だろう!? と興味津々。
約束のお時間は14時だそうで、ちょうど、その頃、お邪魔するような計算だった。
「ああ、そう? やっぱりねえ、、、じゃあちょっと難しいかなあ…。私もね、ぜひ会いたいなと思うんですが。中村さんの畑のすぐ近くの場所で会合があるから。まあなんでも、電話してみてください。」
中村さんの畑を離れたのが14時過ぎ。
ダメもとで朝、再度ゲットした携帯電話の番号にかけてみた。
「ああ、佐々木です。ちょっと今…。あでも、今どちら?」
会合の最中なのであろう、携帯電話を手で覆い、こそこそと静かに話す感じ。
ちょっと悪かったなあ…と思った。
「あ、今そこにいる?じゃあ、ちょっとだけ抜けてね、、外に出てみますね。」
農協の営農センターで、研修室みたいなものを備えている場所。
佐々木さんが仰る通り、中村さんの畑の2ブロック先くらいのところだった。
駐車場には、”JICA研修”と書かれた観光バスも停まっていた。
ドライバーさんも暑いのだろう、ずっとエンジンを切らず空調を効かせている。
数秒後、入り口から携帯電話を片手に、佐々木さんが出てきてくださった。
髪はきれいに薄紫に染めていて、屈託のない笑顔で私を見つけてくださった。
「ごめんなさいね、今日は。」
「あ、いえ、私が自分の都合を押し付けてるだけなんで…。」
「ちょっと覗いてみる? 皆さん立派な方がいらしてて。。でも、みんな若いのよ。」
佐々木さんも傘寿。
豊水梨とシナノスイートとふじを育てているが、女性一人でギリギリ可能な面積をこなしている。
お子さんは3人いるのだけれど、大活躍していて、農業はなかなかお手伝いいただけないようだ。
お一人だけ、私も名刺交換をしたことがある。
松川のもっと標高の高いところにある農場 兼 ジュース加工場を持つ企業で働いているので、偶然お会いした。
豊水梨は、松川では栽培している方が少ないので、貴重なのだけれども。
建物の中に入って、事務スペースの横を通って、研修室に入ると、アフリカの方とJICAの職員さんが、グループワークを行っているところのようだった。
松川は、開拓の地である。
この80年で、上へ上へと山々を切り開き、家を作り、畑を整え、りんごを植えた。
古い家は標高450m付近。
一番上のりんご畑は1000mを超える。
80年かけて開拓したこの歴史と実践を学びに来たそうである。
佐々木さんは、その当事者として招かれていたようだ。
私も学びたい…英語なのかフランス語なのかはたまたポルトガル語なのか、おしゃべりもしたい…と興味津々なのだけれど、なにせ、今日一日のお尻が決まっている。
後ろ髪をひかれながら、研修室を後にした。
「佐々木さん、引き続き、またよろしくお願いします。」
「そうね、これから?」
「はい、中平さんのところに参ります。」
「あ、本家ね。そうね、ぜひ。場所分かります?」
「はい、大丈夫です。」
軽く言葉を交わして、再びレンタカーに乗り込んだ。
調べてあった、中平さんの住所を入れたが、出てこない…!
近くに行けば分かるだろう、と”大島”という住所と、近い番地だけ入力して駐車場を出た。