りょくけん東京

りょくけんだより
りょくけんだより~ BLOG ~

パプリカ 産地訪問記

木造のパプリカ。

実際のところ、青森にお取引のある農家さんが多い。

りんごから始まり、さくらんぼに西洋梨、にんにく、とうもろこしの嶽きみ、高原に行ってレタス類、海沿いでは雪の下にんじん。
毛豆やアピオスも復活させたい。

長谷川さんのご自宅から、20分ほどの距離に、土耕のパプリカをお願いしている坂本さんもいる。

坂本さんのお父様が、日本で初めて土耕パプリカの経済栽培を成功させたとかで、私の師匠が探し出してくださったご縁だ。
りょくけん松屋銀座店をオープンさせる時、デリカを成功させるため、彩りが重要になった。
ルーコラとともに、パプリカの周年供給が課題で、冬は暖地で見つかったが、夏作がなかなか見つからなかった。

パプリカは外国の品種が多く、根っこが日本の土壌に合わないようで、特に夏作を行う方がいなかったのだ。
それだけに坂本さんを紹介され、かつお取引をご快諾いただいた時はとても嬉しかったのを覚えている。

倉庫でゆっくり話して、ハウスにも案内していただいた。

真っ黒に日焼けし、カラフルなのつなぎを着用して、豪快な感じの坂本さん。

ハウスの中では、黙々と奥様が葉搔きの作業を行っている。

「毎年、美味しいパプリカを有難うございます!」

今年は、植え付け時の長雨があり、定植が遅れて、果実が生るのも遅れている。
二週間くらい遅れている。
1段目の果実はすべて摘果したそうで、樹を丈夫に育てる方に注力した。

8月10日くらいからだろうか。

坂本さんはすでに品種を舶来のものから、国産の品種に切り替えた。
日本育ちの品種は、日本の気候に合致しており、格段に育てやすくなったそう。

でも、栽培は減らしたという。

坂本さんも、木造の農業ビジネスモデルを踏襲しており、米のまっしぐらを、26町、栽培している。
トラクターで植え付けや収穫、大きなドローンで防除を行い、その広い面積を一人で管理しているのだそうだ。
よくよく聞くと、パプリカの担当は、奥様。

奥様がしっかりと管理してくださるおかげで、りょくけんにも供給されるわけだ。

「今日は、泊まりですか?」

「あ、いや、まだ四男が小さくて、お迎えとかがあるので、今日中に帰るんです。」

「なるほど。実は、僕も送り迎えがあるので、パプリカの面積を減らしたんですよ…。」

中学に入った息子さんが、硬式野球の地元のチームに入ったそうで、冬の間も、夏の間も、そこそこの距離にあるクラブチームに送り迎えをしているのだそうだ。

「覚えておきます。まだ先ですが、高校野球、チェックしておきますんで。」

米、転作した大豆、パプリカの他に、メロンも例にもれずこの時期は栽培しているという。

いやあ~。
その規模は、見倣いたい。

ここからも、岩木山が見える。
見晴らしの良いパプリカハウスの傍らで、大きく息をついた。
少しでも追いつけたらなと思った。