りょくけん東京

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スイカ メロン

屏風山(びょうぶさん)。

スイカのトンネル栽培が広がる園地の向こう側に、津軽富士こと岩木山が見えた。
稜線が美しく、富士山の出で立ちとよく似ている。
頂上の形が異なるか。

「そうですね、ここは絶景ですね。あともう少し山の上の雲が晴れれば、本当にきれいなんですが。」

長谷川さんは、実は、建築士として、東京で働いていた。
50歳を機に退職し、ご実家の農業を継ぐ決意をした。
東京には住まいもある。

「定年まで働いて、そこから農業を覚えることも考えたのですが、(技術習得に)10年はかかるし、その間に両親は年を経るし、それならば50歳で、と始めました。」

60歳までに形にして、東京のご家族もこちらに呼びたい、と。

スイカのトンネル栽培の隣には、直角に角度を変えて、メロンのトンネル栽培が並ぶ。
手前から、赤肉のレノン、ユウカ、タカミと続く。

その畑から少しまた東に進むと、露地とトンネル栽培の畑があった。
露地の羅皇、ピノ・ガールの他、これまた注目の品種”金色羅皇”が3列ほど植えてあった。

「おお~!」と興奮したが、外観はほとんど赤肉のそれと変わらない。

長谷川さんは、おもむろにトンネルの傍らにあった木の棒を手に取り、トンネルのビニールを1/3くらいの高さに開け始めた。

昨年も栽培していたのだけれど、突然の暑さで、かなりの割合をダメにしてしまったらしい。
そういえば、今年も、3列のトンネルの隣に、やっぱり3列分くらいの面積が、ほぼ空き地になっている。

「ここも、植え付けの後の蒸し込みで、やられちゃったんですよね。ほんの3時間、トンネルを締めたままにしていたら蒸しこんじゃって。」

気づいてすぐに開けに来たのだけれど、夜温が下がらなかったこともあり、回復しなかった。

金色羅皇も、奈良のナント種苗さんが開発した注目の品種だ。
こちらは、糖度を追求したもの。
毎年、糖度コンテストも奈良で開いている。

熊本のスイカ名人の内田さんも育てており、畑においておけばおいてくほど、糖度は上がるようである。
ただ、果肉がやわらかくなり、スイカとしての美味しさをどこに置くかで、糖度の高さは変わるだろう。

一般的に、夏のスイカであれば、12度あれば、十分な甘さだ。
金色羅皇は17度くらいまでは行くようであるが、長谷川さんも14度くらいを目指して収穫する。

「出荷時期は、8月5日くらいですかね?」
「そうですね、いや、7月末、25日から28日くらいには取れると思います。」

純粋に、楽しみだ。

「ところで、羅皇・ザ・スイートはやめちゃったんですね?」
昨年は、羅皇と羅皇・ザ・スイートの両品種を育てていた。
こちらもナント種苗さんの品種だが、一般的に、羅皇・ザ・スイートの方が甘さがあり、シャリ感があると評価されている。

だが、木造の長谷川さんのこの畑では、羅皇の方が美味しかったようである。
そういうテロワールの差はあるものだ。

海側には、いくつもの風力発電の巨大な白い風車が並び立つ。
きれいなような、異様なような、原子力より良いか!と思ったり。

「海側の防風林として植えられた松の木が、屏風ように見えたから、この地域を”屏風山”と呼ぶんです。」

小学校でそう習ったそう。
中には、松の木を伐採した人もいたようで、厳しく処罰されたのだそうだ。

屏風山。

長いこと、スイカでお世話になった方々が、昨年、解散し、組織が瓦解した。
屏風山スイカは商標が残っているから、地元の農協が権利を引き継ぐとか引き継がないとか。

組合の解散の事は、事前には知らされず。
困惑もしたし、とても困った。

そんな折、助けてくださったのが、長谷川さんだった。

「やりましょう!ぜひ。」

某ティモンディの高岸さんの勢いだった。
じっくりとこちらの話を聞いてくださり、こうしてお取引につながった。

昨年の8月は退職者が相次ぎ、お店から離れることが出来ず、産地にも来れなかった。
こうして畑も確認することができ、そして、それが、以前の屏風山の組合長さんたちと全く変わらない作り方だったので、とても安心した。

「大森社長、青森でもお取引のある農家さんが多いようですから、ぜひその集まりみたいなものを開催いただいて。
私もそこに参加させていただいたら、なんて思ってます。」

ー畏れ多い。

ご両親の知見と技術を引き継ぎ、長谷川さんの販売力や分析力で、毎年、発展していくことだろう。
一緒に、成長していきたい。