早朝、成田空港を発ち、新千歳空港に着いた。
早々にレンタカーを借り、一路、余市へ。
高速道路をかっ飛ばして1時間40分。
りょくけんのキー農家である中野さんの農園に辿り着いた。
中野さんはご自宅も畑も、少し小高い山の上にある。
見晴らしがよく、ご自宅の裏側にある日当たりの良い斜面には、整然と45棟のトマトハウスが並んでいる。
そのほとんどのハウスで、高糖度のマルトマトを作り、トマトジュースにしている。
りょくけんの主力商品である特選トマトジュースは中野さんの手によるものである。
銀座店で一番人気である”いちごトマト”もまた、夏の間は中野さんの畑で生まれている。
永田照喜治が、近くで果樹園を営む安芸さんからの紹介で、この畑を訪れ、
「さくらんぼなんて作らないで、トマトを作りなさい。」
と説いたらしい。
先代の中野さんは、そこから、ほとんどのさくらんぼの木を伐採し、ビニールハウスを建て、トマト栽培を始めた。
当初は、栽培がマルトマトよりも少しだけ易しい、ミニトマトから始めた。
ミニトマトは、栽培自体はマルトマトよりも易しいかもしれないが、収穫が厳しい。
まじめにやれば選果もキツイ。
真夜中の2時くらいまで、選果作業をしていたらしい。
そんな先代から、中野さんは数年前にお父様から代替わり。
中野農園4代目。
法人化した農園の、初代社長である。
考え込む仕草だったり、話す間合いが、先代によく似ている。
苦労していた先代の、真夜中まで働いている背中は、よく覚えているらしい。
中野さんの主力を生のトマトからトマトジュースに切り替えたことで、経営は改善。
りょくけんからも色々お願いし、”いちごトマト”の栽培依頼をして、もう十数年になる。
ところが昨年。
「いちごトマトは赤字なんですよ。もうやめようかと思って。」
9月末に収穫が終わってしまい、考え抜いた後、11月までなんとか収穫できる体制にできないかと懇願した。
客観的に言って、北海道の秋が長くなっている。
真夏の収穫量も品質も落ちるようになってしまったけれど、終了は年々遅くなっている。
だから、作型を二つに分けて、早作と遅作にして、長く提供してほしい。
そうお願いしたのだ。
「そこまで言ってくれるのなら。やってみることにします。」
2025年は、責任重大。
作付け量も増えたので、収穫も多くなる。
そこまでの販売力が、りょくけんにはあるのだろうか?
そんな、正直、不安も持ちつつ、中野さんと、畑を一周した。
最初のハウスはミディトマト。
「今年は少し減らしましたけれど。」
「かわらず、カンパリ?」
「はい。」
中野さんが静かに答える。
カンパリは、オランダの品種で、パリッとした皮で、うまみがすごい中玉トマト。
こちらも人気がある。
ほとんどのハウスがマルトマトだった。
「来週から、そこのハウスにもマルトマトを植えていきます。」
あれ?
「ここが、いちごトマトを植えているハウスです。」
あれ?
いちごトマトは二列。
残りの1列に、来週から、苗を定植していくとのこと。
「これで11月まではちょっと分かんないですけど、10月は大丈夫だと思います。」
昨年の10月に話した時には、絶望してしまったけれど、なんとかなり、ほっとした。
そんな私を見て、
「そんなにいちごトマトが大事ですか?」
「はい!間違いないです!」
ピークで20ケースは出てくる。
それをきちんと販売することで、また信頼してもらえるようになるだろう。
「ところで、全部の作を、2作に分けたんですね?」
「はい、そうしました。一番、世間で少なくなる9~10月にトマトを出荷できるようにしてみようかと。」
9~11月。
もっと言えば12月に品質の高いトマトは、極端に少なくなり、貴重なのだ。
ただ、中野さんの経営を大いに左右することを進言してしまった。
責任重大である。
ハウスを見終わった後、しばらく経営談義。
二人で話していたら
「この時間、ちょっと抜けてても良いんですか?」と話しかける若い方がいた。
「あ、大丈夫ですよ、また13時になったら帰ってきてもらえれば。」
中野さんがそう指示を出した。
「今の方は、短期の、今日だけ(はたらく)方です。
お父さんも70代ですし、これからどんどん働ける人が少なくなっていきます。
都会以上にここはそうなります。その対応を今から考えて行かないと。」
しばらく立ち話を続けた。
あ、楽しいかも。
腕利きの農家にして、経営者。
先代にも、たくさん学ばせてもらったけれど、それとは、また違う関係。
何度も訪れたことのある農園なのに、なんだか新鮮だった。