津田さんのお宅を後にし、一路、北上。
少し進むと、海沿いのとても景色の良い道路に出た。
左には天草や島原半島が見える。
右には山があり、みかんの段々畑が広がっている。
これはきれいだなあと見とれた。
カーナビの地図には、河内岳の文字が見える。
今から見に行く“河内晩柑”が生まれた地域に違いない。
もう一つ山の脇を抜けた後、右に曲がって、山の中を上がって行った。
やや細い道を曲がっていくと、目的地である堀田さんの家の近くに着いた。
反転できるような駐車スペースがあるか分からなかったので、手前の公共の場のようなところに駐車した。
車を降りると、左上のお屋敷の、広そうな庭にほうきを持って、こちらを伺うご婦人がいらっしゃる。
視線が合う。
「大森さん?」
訪れたのは、100年以上続く柑橘農家、堀田家。
ひとたび、足を踏み入れると、どこからどこまでが堀田さんの敷地なのか、見当がつかなかった。
「あっちからも入れたんですけどね。まあそこでも良いでしょう。」とご婦人。
美しい庭木があり、桜も、椿も、藤棚も、楓も、松もある。
お屋敷に、広い倉庫もある。
庭木の向こうに、垣根なく普通に山がある。
あの山も敷地内???
案内されてご自宅に入ると、広い広い玄関。
私の自宅の私の部屋並みに、いや、部屋より広い玄関。
堀田さんご主人もいらっしゃり、出迎えてくださった。
「遠いところまでわざわざようこそ。」
堀田さんに続いて応接室に案内されて、入ると、歴史を感じずにはいられない。
仏壇。
床の間にある、家紋の入った大きな箱。
欄間。
少し無造作に立てかけられた江戸時代っぽい笠。
代々の肖像画と写真。
などなど。
ソファに座ると、美しい庭を見渡すことができる。
風通しが良く、心地よい。
なんだか良い香りもする。
柑橘の花の香りだろうか。
少し見とれていたら、
「松の木以外は、私が剪定しています。素人なりに。」
と堀田さんが静かに口を開いてくれた。
りょくけんには、柑橘の商品担当がいたので、柑橘農家さんは、取引が長くても、お会いしたことがない方が多い。
堀田さんとも、電話やファックスのやりとりはしょっちゅうしていたけれど、お会いするのは初めてだった。
農業の話になる前に、木に生ったことを、いやいや気になったことを一通り質問してしまった。
「あの家紋入りの箱の中には鎧が入ってますか?」
以前、他の農家さんのところでも見たことがあった。
「中身だけ二階にある。あの箱は元々鎧用のものだけれど、今は別のものが入ってるよ。」
「あの笠は?」
「私のひい爺さんかな。ペリーが浦賀に来たことがあるでしょう?その時、防衛のために、各藩から人手が集められてね。」
ペリー?
黒船来航のこと???
「その時に、浦賀まで黒船の見物に行った時にかぶっていたもの。」
「へえ~。」
「あの山の真ん中あたりに石の塔が建ってるでしょう?あそこまではたどれるんだけどね。火事にも2回遭ってるから。」
堀田家は、応仁の乱後に、肥後=今の熊本に転封された細川家に仕え始めた地元の有力豪族のひとつだったそう。
「郷士だったんだけれど、その前は分からん。」
石の塔は、代々のお墓。
ということは、やはりあの山は…敷地か…!
「家を代々繋ぐっていうのはなかなか大変なことでね。私自身も三男坊だったし、娘4人だし。お宅は結婚は?」
「してます。4人の息子がいます。」
「ああ、じゃあ大丈夫だね。」
何が大丈夫かはまだ分からないけれども。
その後は、私がまずはユニクロに入社して、なぜりょくけんに入社し、今こういう立場になったかを説明した。
堀田さんは静かに耳を傾けてくださった。