悔しい想いをともにしたSKIPのスタッフさんが何人か集まってくれ、仮店舗は上々だった。
どう上々だったかというと。
「この場所、何店舗も今まで入れ代わり立ち替わり入ってますけど、列ができているのはりょくけんさんが初めてですよ!」
とお隣のイタリア惣菜店の方に言われたくらい。
(レジのサービススピードが遅いだけ??? いやいやー。)
そんな中、お惣菜を交えた催事=期間限定販売会の時期になった。
その他の拡大催事は大成功だったのに(一日80万円販売したことも!)、こちらは散々だった。
次郎社長と私が考えた惣菜は、売り切れたけれど、、、
完売したのに、売上は3万円。
それを作るのに、5人のスタッフさんが一日働きづめだった。
隣のイタリア惣菜屋さんは、3名で、製造も販売もこなし、30万円前後の売り上げを上げている。
肉魚を使わない惣菜の可能性があることは分かったけれど、これでは経済性が全くない。
「やっぱり調理人を採用しよう」と次郎社長と合致し、2か月ほどかけて、一人ついに採用にこぎつけた。
初代の料理長である。
2回目の野菜惣菜催事で、料理長が、ラタトゥイユを導入してくださり、ようやく料理っぽいものが提供できるようになった。
仮出店から1年。
2006年の7月1日。
りょくけん松屋銀座店が、”本当の”野菜惣菜を携えて、オープンを迎えた。
初代厨房長から二代目と代わり、三代目厨房長になった。
この方がとてもクリエイティブな方で、1か月に3つの新メニューを考案する実力者で、現在のりょくけんベジデリカの礎を築いてくださった。
2009年には西武池袋店にも出店。
東急百貨店のたまプラーザ店や三越日本橋本店、伊勢丹新宿本店にも催事出店を繰り返した。
2012年には東急さんの新業態、渋谷ヒカリエShinqs店にも出店。
この時はりょくけんだけでなく、お菓子にも挑戦し、”ゆりい菓”というお店も出店した。
ほぼ同時期に、小売事業部と通販事業部が独立して株式会社りょくけん東京も設立された。
事務所は四回目か五回目の移転を行い、1戸建てのビルの1~3階を総借り。
社員19名、アルバイトさんを含めると総勢95名の大所帯になった。
この風景は、昔、どこかで見たことがある。
同じ轍は踏まない、と思ったのか、思っていなかったのか…。
2014年には通販と松屋銀座店を残して、すべてのテナントから撤退。
社員5名、総勢25名に縮小した。
残った社員から、社長を選びなさいと言われ、私が立候補し、代表になった。
ビルから築40年木造の物件に再移転した。
5回目か6回目か7回目の移転だった。
7年ほどお世話になった後、取り壊すから、と再移転を余儀なくされ、今の池袋本町の事務所に転居。
突然の社長退任もあったし、会社都合の大量解雇もあったし、東日本大震災もあったし、コロナ禍もあった。
それでも、なんとか、こうして。
お客様とスタッフと農家さんに支えられて、迎えることができた。
さ、第14期!