りょくけん東京

りょくけんだより
りょくけんだより~ BLOG ~

本当の野菜惣菜をやりなさい。

松屋から与えられた至上命題は、”デリカ”だった。

思い出してみると、SKIPでもデリカをやろうとしていたことがある。
何かの歓送迎会の折に、カレーの専門家と料理研究家みたいな方が紹介された記憶がある。
「カレー屋ですが、そばのクレープ”ガレット”と野菜を合わせられないかと考えている。」と抱負を述べていた。
立地なども検討されていたようだけれど、いつの間にか渋谷の事務所にはいらっしゃなくなった。

今から20数年前、ちょうどRF1さんや柿安ダイニングさんが百貨店を中心に高級惣菜のお店を出店し、注目され始めた頃だった。

「肉や魚を使わない、本当の野菜惣菜をやりなさい。」と指示があったのである。

りょくけんには、小売りの経験がない。
量販店や生協さんに卸す業態がメインで、エンドユーザーであるお客様とのやり取りの経験がない。
ましてや、お惣菜なんて作ったこともない。

理由はいくつかあった。

1.地下1階の食品コーナーリニューアルを控えている。地下2階ではなく、集客の良い地下1階に出したい。そのためには、青果中心ではゾーニングとして出店不可。
2.若い世代を、細長い地下の売場の奥まで呼び込みたい。地下2階にも。その導入役をチーズなどと一緒に担ってほしい。

松屋銀座は伝統的に、良いお客様が多い。
ただ、若年層に弱い。
分析によると、お菓子売り場にまでは、そういった若年層も来店している。
同じ階の、奥にある洋惣菜や和惣菜まで来ていない、とのことだった。

お菓子売り場と惣菜の間に、パン屋、チーズ屋、サラダ屋、ハムソーセージ屋、ドライフルーツ屋を持ってきて、つなぎ役、導入役になってほしいという意図だった。

次郎社長は、途方もないと思いつつ、面白いと思ったのだろう、やることになった。
この時期は、あまだまキャベツが美味しいから!この時期は雪の下人参が!この時期は寒締めほうれん草が生でも美味しいから!
とメニューを二人で考案した。

転機があった。

「話があるからすぐ来れるか?」と呼び出しがあり、浜松から銀座に行った。

要約すると、出店を反対していた副社長がヘッドハンティングに合って退社し、りょくけんの出店の障壁がなくなった。
急いで、デリカメニューをプレゼンするように、いつできる? じゃあ一週間後、みたいなことだった。

プレゼンは散々な評判だったけれど、販売する催事の日程は決まった。
そして、野菜くだものだけでの、仮出店も決まった。

催事があるたびに、SKIPで働いてもらっていた方に声を掛け、その時の仕事を休んでもらったり、休みの日に来てもらったりして集まってもらっていたのだけれど、
それでは維持ができないから、どこでも良いので常設のお店をもらえないか?と頼んだからだ。

2005年7月20日。
1辺のフェイスが2m弱。
一坪のスペースを与えられ、りょくけんは松屋銀座本店に出店を果たした。
浜松のりょくけんの扉を叩いてから、1年ちょっとが過ぎた頃だった。