りょくけん東京

りょくけんだより
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ユニクロとSKIPとりょくけんと。

初めて、松屋銀座の商談室で、現在は執行役に就いている食品部の課長さんに会ったときは、今でも忘れない。

次郎社長がニコニコと商談室の席に着く前に私を紹介すると、表情がキッと変わったのが分かったからだ。

私がユニクロ出身であること。
若造だったこと。

次郎社長もその雰囲気を悟ったのか、フォローするように「こんな坊ちゃん坊ちゃんしたような外観ですが、熱いものを持っていますから。柳井さんに対して『悔しい』という気持ちを持っていますから。」

「とにかくね、まだ決まっていないし、非常に、高い壁があると言わざるを得ない案件だから。こうしよう、毎週、来てください。お互い、進捗を話し合いましょう。」

課長は、熱く、怖しい方だった。

半ば出店は既定路線と思っていた私は面食らった覚えがある。

当時の松屋の副社長だった方が、りょくけんの出店に反対だったからだ。
当時の松屋銀座には、地下2階に山口商店と言う青果店がテナントとして入っていたし、SKIPの跡地も山口商店さんが引き継いでいた。
さらに”正直村”という無農薬や有機の野菜くだものと雑貨類を販売するお店もあった。
「三店舗目の野菜屋はあり得ない。」というのが、その方の主張で、私も至極もっともだと思ってしまった…。

ただ、出店にはタイミングがある。
せっかく獲得していたお客様に忘れられないように、催事には定期的に出店しなさいと指示があり、
半年に一回くらい、上記の既存店とバッティングしないようにトマトジュースを販売した。
これが好調。

最終日には、一日で20万円を超える売り上げを記録した。
トマトジュースだけで。
SKIP東武池袋店では、野菜もくだものもたくさん種類をそろえて、やっと20万円乗るか乗らないかくらいだったから本当に驚いた。

SKIPが失敗した理由も話し合い、同じ轍は踏まないと、策を練り、与えられた。

そういえば、SKIPの社長だった現GUの柚木社長は、油断があったかもしれないと言っていた。
MD部門を東京糸井重里新聞に委託し、商品部門はりょくけんに委託。
”永田農法”という、有機でも無農薬でもないシンボリックな商標も、永田照喜治さん個人と同意して使用許諾を得ていた。
品質の良い野菜を担保でき、象徴も得て、日本有数の発信力のある事務所とも契約でき、絶対に成功できると思ったそう。

結局、そうできなかったのは、外部委託が多すぎたからなんだろうと思う。
ユニクロのスーパーバイザー(店長の上司、複数店舗を束ねる)から「おまえは自分にできないことを人に指導するな。全部自分でできるようになって、一番になってから人に教えるようにしろ。」と言われたことがある。
もう一つリーダー(=部長クラスのえらい人)に言われた言葉は「実力が足りないなら、時間でカバーしろ。」だった。

色々と逆らうことも多かったけれど、この二つは今でも自分の中で生きているかもしれない。
無意識のうちに。。。