4月17日は、株式会社りょくけん東京が設立された日だ。
2012年の事である。
私とりょくけんとの関りは、2003年に遡る。
新卒二年目、下関のユニクロで店長を務めていた。
良い仲間がいて、いろいろ苦しんだこともあるけれど、楽しかった。
当時、ユニクロの、株式会社ファーストリテイリングの会長兼社長の柳井さんは、衣食住すべてを手掛けたいと仰っていた。
衣は、ユニクロブランドで、住は、今でいうIKEAさんやニトリさんをイメージしていたのだと思う。
食でも、生産効率の高い中国やアメリカで米や麦を育て、日本で販売するユニクロのビジネスモデルを応用しようとしていたと聞く。
ところが、発表されたのは、日本産の野菜くだものを扱い、しかも永田農法とか緑健農法と呼ばれる考え方で育てた、こだわりのやさいくだものを売るということ。
ほぼ同時期に、社内公募があり、私もそれに手を挙げた。
永田農法のトマトは、小さい頃から知っていたし、衣服よりも食に携わりたいと思った。
スピード感のある会社である。
あっという間に転籍が決まり、4月から東京で働いていた。
半年間、商品部で勤務し、コントロールや取引先だった(株)りょくけんの営業や実務の方と話すのが楽しかった。
店長経験を買われ、東武池袋プラザ館に出店時に再び店長として最前線で勤務した。
年が明けてすぐ。
内々に事業が解散することを知らされた。
次々と仲間がいなくなり、店もなくなり、4月には東武池袋プラザ館のSKIPも閉店した。
「ただの八百屋が締まるのがこんなに悲しいとは思わなかった。」とお客様に伝えられ、涙が出た。
向かいのお豆腐屋の店長も泣いていたと聞く。
(元気かな)
今時、あんなに気持ちの良いチームの店は無かったと。
私の最終出勤日は5月末。
それまでに残っていたメンバー15名くらいで、柳井社長からお言葉を頂けるとのことで、渋谷の本社を訪れた。
時間は15分。
「大失敗でした」といつもの口調で言われた。
「唯一褒められるのは、撤退がスムーズだったこと。これは褒められるんじゃないかと思います。」
経営者として、うまく行けば進め、うまく行かない時にはやめる判断はとても大事なこと。
でも、悔しくて仕方なかった。
本部で経営の中枢も垣間見たし、最前線に立って、お客様ともいっぱい話した。
支持されているのに、なんでうまく行かなかったんだろう?