ポンカンは、早生みかんが終わったころに収穫、出荷され、手で皮も剥けて、味も香りも良く、もっと支持を集めて良い柑橘だと個人的に強く思う。
日本には、台湾を経由して明治時期に伝わったとされ、広東方言である椪柑(phong-kam)の音をそのまま日本語にしていると考えられる。
広東語は何を参考にしたかと言えば、原生地であるインド スンタラ地方のプーナ(Poona)に由来する。
インドの他、東南アジアや中国南部まで広く栽培されている。
太田ポンカンの登場で、酸抜けが早い品種も生まれ、1か月以上、品種リレーすることができ、お値段も手ごろなので、もっと需要が増えて、ポピュラーになってほしい。
そんなことを思いつつ、グループ唯一のビニールハウスへ移動。
ハウスのすぐ裏にご自宅がある上甲さんも迎えてくれた。
ハウスの中には、”紅まどんな”こと、愛媛果試第28号があり、私が来るということで、二本だけ収穫を待っていただいた。
ーVIP対応だ…。
苗木を植えてからまだ数年と言うことで、樹の背丈は私より少し高いくらい。
愛媛果試第28号は、年内に出てくる柑橘で、期待の大きい品種で、みかん一辺倒の中で、とても強いインパクトのある高級柑橘だ。
果皮も、じょうのうも、果肉もやわらかく、ジューシーでまるでゼリーのような食感に特徴があり、美味しい。
ただ、そのやわらかさのせいか、手では剥きづらく、そしてやや傷みやすい。
店舗でも、年が明けてから、「あの美味しいやつはもうないの?」とご質問を受けるのだが、傷みやすいので、なかなか難しい。
樹になっている果実は、さすがに張りがあり、酸味が強かった。
収穫はもう少し遅らせると、もう一段階、糖度が上がり、美味なのだが、上甲さんは少し急いでいた。
「俺はこのハウスを早く片付けさせてほしい!」
というのも…。
昨年、突風が吹き荒れ、ハウスの一部が倒壊してしまったからだ。
収穫を済ませ、ビニールをとって、早めに骨組みだけにして、冬の嵐に備えたいのだ。
明浜でビニールハウスが極端に少ないのは、海からの風が吹き荒れるリスクがあるからなんだと思う。
それでもなお!
愛媛果試第28号と、もう一つの棟に植えてある最新品種、愛媛果試第48号にはとても期待してしまう。
48号は、商標が”紅プリンセス”と決まった。
来年は、少しだけ収穫があるようなので、期待したい(昨年、食べたのだけれど、実力通りの味ではなかった)。
だって、親が甘平と紅まどんな(愛媛果試第28号)!
上甲さんを加え、4人になった一行は、片岡さんが力を入れているメインの圃場に移動した。
この圃場が売り出されていると聞き、片岡さんの師匠である祖父に「あそこは絶対買え。うまいみかんが毎年出ていたところだ。」とアドバイスを受けて購入した場所だ。
上の方から、極早生、早生、中生と植えていて、できるだけ軽トラックが入れるように、とコンクリートの舗装も進めている。
山がちなみかん畑には、モノラックと言って、一本の鉄のレールを敷いてモノを運ぶトロッコが重宝されてきた。
ただ、人の移動にも実際のところ使われていたし、時代が進むにつれて、モノラックのメーカーも減ってきており、持続していくのは難しい。
「今年はこっから向こうを舗装する予定です。あ、もちろん補助金も出てますけど…。」
片岡さんは、福岡でペットショップに勤めてきちんと生計を立てていたらしい。
お父様はみかん畑を継がず、祖父が続けていた畑を引き継ぐために、明浜に帰ってきた。
「まだまだなんですが…。」
舗装を進め、軽トラが入れるようにし、機械化できるところは機械化する。
切り上げ剪定にして、日の丸の川田さんの指導も聞きながら、みかんの高品質化に努めている。
「りょくけんさんに出荷しているのは、この圃場からがほとんどです。ここのはやっぱり美味しいですよね。」と崎山さん。
グループで20か所以上に園地があるが、この圃場が一番大きい。
また記念写真。
「大森さん、畑にいる時、楽しそうですね。」
うん、間違いない。
充実した気持ちで、明浜を離れた。
どんどこ日が暮れ、、、
冬は日が短くて少し残念だったけれど、着いた時に見た俵津の風景とはガラリと変わったが、明浜の夕暮れは美しかった。