りょくけん東京

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トマト 奈井江 社長日記

捜し物を捜しに。2

音は、ご自宅のすぐ横の小さめのハウスからだった。

あーなんて自己紹介しよう?

と思いつつ、どなたかいますようにと願うようにハウスをのぞき込むと、小さな小さな背中が、自分の背よりも高い、ハウスのパイプを何本か手にして、なにやら作業をしているのが見えた。

「すみません!私…。」

小柄な、真っ黒に日焼けしたカチカチの肌の女性は、一瞬、こわばった表情をした後、私の自己紹介を聞いて、段々と表情を緩めてくださった。

「東京で八百屋を営んでまして…。」

「悪いねえ、今日はお父さんも息子もいなくて。」
春先から、一日も休まず今日までずっと働き、今日は休みにしよう!と決めたそうで、経営判断のできるお父様と息子さんは、外出している、とのことだった。

「春先から…!」
なるほど、丁寧な作業は、やっぱり、、、そういうことか。

「今日は晴れたから、本当はハウスのビニールを張り替えたかったんだけれど、まあ、仕方ないじゃんね、決めていたことだし、春先から働き続けてたからね。それでも、私はこのパイプだけは今日片付けたくて。」
聞けば、5月上旬~11月上旬までずっと出荷しているそう。
長い出荷期間を維持するため、作型を二つに分け、2月に入ったら播種を行い、ハウス内に二重に被覆して温度を高めて、苗を育てていく。
一月後に、もう一作型を育て始め、11月までの長期栽培を可能にしているわけだ。

めちゃくちゃ一生懸命で、まじめでないと、できない。

「写真、撮っちゃだめですよね?」
「ダメダメ、こんなしわくちゃなおばちゃん…。まだトマトを譲れるかも、息子たちに聞かなきゃだめだし。」

さもありなむ。

手土産とりょくけんの紹介文をお渡しして、再会を望んでいることをお伝えして、奈井江を離れた。

奈井江から再度北部へ向かった30分くらいのところに、新十津川町という地域がある。
奈良の十津川村から集団移民して、入植し、開拓された集落だ。
平野では、米穀が栽培され、小高い山の上で、野菜が育てられている。

ここにも、高糖度のトマトを栽培する方がいる。
実は、先代までは生産指導もしていたし、お取引もあったのを、私も知っている。
ちょうど、ユニクロのSKIPが始まった頃の会議で、そんな話を聞いたからだ。

小高い丘の上と下にもハウスを構え、鉄骨のハウスを含めて、20棟ほどのハウスがあり、冬に備え、ビニールもすでに外されている状態だった。
雪が降ると、重さでビニールが破けるだけではなく、支える鉄パイプが曲がり、ハウスがつぶれてしまうからだ。


日曜日だったので、やはり人気がない。
ご自宅の呼び鈴を鳴らしたが、どなたもお出にならなかった。

ノンアポ。
仕方がない…。

新十津川町には他にも、二つ用事があった。
訪ねたい方に電話した。

「すみません、今、新十津川町にいるんですが、ご自宅ですか?」
「ええ?いるのぉ?ハイハイ、自宅にいます。あと何分くらいで来れるの?」
「たぶん5分くらいです。」
「どうぞどうぞ。」

もし仮に、私が事務所で働ているときに、突然、お取引先さんから電話があって、「訪ねたい」と言われたら、、、
と想像しながら、反省しながら、車を走らせた。