りょくけん東京

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田んぼに行きたい3。

田んぼに水がないと聞いて、タガメを見つけるのは困難と思っただろう。
さぞ、長男はショックを受けているかと思いきや

「”中干し”ですね。」とサラリ。

水田は、夏に一度乾燥させるために、水を抜く。
一年の間の数日だけのことなのだけれど、それにあたってしまったのだ。

「田んぼの土の中のガスとか抜くためですよね。」と続ける。

「おお、よく知っているね。」と黒田さん。
息子にも驚いたけれど、水田を解説する”黒田氏”の落ち着いた、中堅の農家さん振りにも、正直、驚いた。

あれ、いったい、月日はあれから何年経ったのだろう???
黒田さんは、大学の最終学年だった。

15年くらい前???

「でも、見たいです!」

黒田さんの奥さんとやっちゃんと、私と妻と息子4名、田んぼに向かった。
一番近い田んぼは3~400m。

ご自宅から歩いて向うことにした。

途中、何人かのご近所の方とすれ違うのだが、みんなから声を掛けられる。
車に乗っている方からも、次々と声を掛けられる。

黒田さん一家がすっかりコミュニティに馴染んでいるのを感じた。

五郎兵衛神社へ。

途中、五郎兵衛神社に立ち寄った。

諏訪神社の隣に五郎兵衛神社が併設されている。

隣接された五郎兵衛用水記念館にも立ち寄り、用水の成り立ちを学んだ。


館長自ら、用水の説明をしてくださり、なかなか勉強になった。

一人でもできるもん。

1600年前後に、用水開発の許可を取り、佐久一帯に水が回るようにして、田んぼを切り開いた大功労者。

「このように、木枠でトンネルをつくって、砂が崩れないようにしていったわけです。これは原寸大の模型です。」

「オレだって持てる。」

「うおおー」(三男)

「軽い。」(次男。注:模型なので段ボールです)

400年以上経った今も、こうやって佐久の方から感謝され、諏訪神社と並んで神格化されている。
もともと武家の生まれだったが、徳川家康が、天下を治めつつあり、関ヶ原の戦い後、長く続いた戦乱の時代が穏やかになり、これからは戦争ではなく、農業だ、と思い、田畑の開墾に力を入れたのだとか。

「ここに来ると、毎回、学びがあるんですよね。」と黒田氏。

来週には、「五郎兵衛用水を歩く」会があるらしい。
黒田さんも参加するようだ。

少し遊ぶ場所もあり、思い思いに遊んでいるようである。

三歳の四男と四歳のやっちゃん。

少し小高い丘の上にあった五郎兵衛神社を後にし、再び田んぼに向かった。

「そこの信号を渡った、右のガードレールを上った所です。」