「飛ばすなよ~。」
いたずらっぽく笑う川田さんと八幡浜港で別れ、向かったのは松山市内にある海の玄関口のひとつ高浜港だ。
高速を伊予ICで降りて、松山市街を抜けて、空港付近を通り過ぎ、港に着いた。
13時25分。
13時50分発だったので、十分間に合った。
駐車場に車を停めて、チケットを購入。
フェリーの時間を待った。
瀬戸内海に位置する島々は、山の斜面を生かした柑橘の栽培が盛んである。
川田さん曰く、真砂土という砂地になるため、極早生や早生みかんを作るには少し条件が悪い、その代わり、雑柑類が最近では主流になっているとのこと。
そういえば、りょくけんがお願いしているのも、甘平、はるか、たまみ、かがやき、カラマンダリン、せとか など、みかん後の柑橘だ。
”片方聞いて沙汰するな”
もしかしたら、いやいや中島のほうが、みかん栽培に向くで~ なんていう意見もあるかもしれない。
そのあたりも今回は聞いてみよう。
中島へ向かう高速フェリー |
時間を節約したかったので少し高価だが高速フェリーを選択。
高浜港を出て、途中、睦月港、野忽那港に寄港し、中島の大浦港に着いた。
30~40分。
船内で内海の多島美を楽しもう、なんて思っていたけれど、結構ゆらゆらと揺れるので、それどころではなく、目を閉じてじっとしていた。
乗船したら、生産者の石丸さんに連絡する約束だったけれど、会社のソフトバンク携帯電話の電波が途絶えてしまった。
電波が復旧したのは、本当に島に接近した時で、着く直前にメールの送信が完了になった。
すぐに返信も来て、「今から大急ぎで向かいます。」とあった。
恐縮だ…。
石丸さんとは先代の時からお取引。
10年前になるだろうか。
みかん後の、もっと言えば、不知火の後の、有力な柑橘を探しており、それがカラという柑橘だった。
「カラマンダリンと言えば、中島じゃ。石丸さんに聞いてみようわい。」と当時の上司で、柑橘のプロだった道法さんから紹介していただいた。
いつも柔和な声で、優しかった。
何を隠そう、初めてトロッコに乗ったのもこの時分で、中島に初めて来て、石丸さん(先代)にお会いした時だった。
たしか、その時にはすでにご子息も島に帰って来ていて、先代のお手伝いを始めていたように記憶している。
納屋で話していた時に、会釈をした覚えがあるのだ。
もう、代替わりしてしばらく経つ。
カラだけなく、順番に言えば、石地みかん、愛媛果試第28号、たまみ、甘平、はるか、かがやき、とお世話になっている。
港の建物の周りをぶらぶらして待っていると、きれいめの白い軽トラが入ってきた。
「あれかな?」