「おいちゃん苦労しとるでー。」
真顔で言う川田さん。
中学生のころからずっと。
「それこその、おうよ、この急斜面をの、天秤棒を肩にかけて、籠いっぱいのみかんを左右に担いで、この急斜面を昇り降りしてみかんを運んだんよ。」
「ここを?」
「おやじからのォ、”学校が終わったらローで来い”と言われての、その下につけて選果場まで運んだんよ。」
「?」
今一つ意味が分からない。
「ローって何ですか?」と聞くと、脇から奥様が「舟の事。漕ぐのをローって言うやろ?」
ボートを漕ぐ櫂(かい)のことを、そういえば英語でローと言うような、、、いや待てよ。
「え?舟って?」
「おう。今朝通ってきた道な。あれは無かったん。ずっと砂浜で、すぐが海やったんよ。だからローで寄せて、そこからみかんを運んで選果場まで運びよった。どうやろ、うちのが嫁に来るくらいまで砂浜やったんやなかろうか。」
「そうや。私が来た後に道ができたんよ。」と奥様。
「それでもな、砂浜に道ができたけど、狭い道路でな。市の交通局から、国土省まで行きよってな。行政に陳情や。あっち行ってもだめ、こっちいってもダメ。八幡浜にだけしたら全国にせにゃいけんようになる、言われてな。あしかけ7年や。7年通っとったら、”川田さん、それじゃ”って口きいてくれる議員が出るようになってな。そっからや。今の幅になって舗装されるようになったんは。」
目の前にある斜面を、天秤棒担いで降りた、と聞いただけで、私は身震いがした。
怖いし、きつい。
川田さんのみかん畑の前の道路。当初は砂浜ですぐ海だった。 |
「だから、おいちゃん、苦労したで~。あ、さっきの○○○のことは、公表しちゃならんぞォ。昔な、愛媛大学の教授がの、調べよったがよ。そんときも○○○のことはのせてくれるなよ~いうとったんやが。まあ、かけるタイミングにも秘密があるから、なかなか真似はできんけどな。」
川田さんの、人脈、技術論、栽培理論。
すべて録音しておきたいくらい興味深く、勉強になった。
「さて、じゃあそろそろ行くか。」
しばらく話を聞かせてもらった後、再びモノラックに体育座りして、下山。
今度は私の荷台が先頭となった。
急斜面を、今度は降りる。
登りよりもずっと恐ろしかった。
落ちるような斜面も、後方のエンジン部分がモノレールをしっかりつかみ、上から引っ張りながら少しずつ進むような感じだった。
登るよりも時間を長く感じたが、地面に着いた時には、少しほっとした。
「(なぜ美味しいみかんがここでできるのか)納得したか?」
「はい!」と言うと、
「じゃあ、中島に行くんやろ。戻ろうか。」
「え?あ、いや、極早生も見たいんですが。」
「出作りかぁ!?それは無理じゃ、時間がない。」
「そこをなんとか…。」
しばらく思案した後、川田さんが思いついたように言った。
「おお、それならもう少し行ったところに、今年から若い子にやったところがあるから、そこを見ようわい。」
「ぜひ!」
出発が7時半だったから、たっぷり話を伺ったにもかかわらず、まだ午前9時だった。
納得はしたけれど、まだ見たいし、聞きたい。
そう思っていた。