徳之島は、モンロー主義だそうで、ミニトマトにせよ、かぼちゃにせよ、作物のほとんどが、島内消費されるそうだ。
島外に出るのは、それこそ、仔牛や、じゃがいも、サトウキビ、花などに限られる。
トマトは、そこそこのお値段で取引されるので、島外に出す必要がないのだとか。
ホテルにチェックインした後、明朝乗り込む予定のフェリーが出る港に向かった。
私は筋金入りの方向音痴で、思い込みも強いので、何か間違いがあってはいけない、と思って、港の場所だけは確認したかったのだ。
ホテルからは歩いて10分で行ける。
道もまっすぐ。
間違いようがない、はず、と確認した。
本州よりも日が長いな、と感じていたが、暮れ始めると、やっぱり、あっという間に暗くなった。
急に携帯電話が鳴り、名古さんがもうホテルに着く、と連絡があった。
現在位置をお伝えすると、そこまで迎えに来てくださった。
一緒にいる人は、背が高く、スポーツウェアを軽やかに着込んでいる。
「義山さん。今度は弟の方。」と名古さんが紹介してくれた。
そのまま、お刺身の美味しいお店に連れて行っていただき、ごちそうになってしまった。
聞けば、義山さん、農閑期はほかの仕事をしており、今日は昼間は、大工の仕事をしていたという。
「農家としても優秀。なんでもできる人だよ。生計を立てるため、って本人は言うけれど、”できる”から、昼間は大工に行ってただけ。」と名古さん。
物腰がやわらかく、個室を通り過ぎる人たちが、みんな顔なじみのようで、会釈をしたり、一言二言の会話をかわしていく。
「兄貴とまたちょっと違うでしょ?」と名古さん。
お顔は似ていると思う。
だけれど、”気に入った人としか話さない”というお兄さんの性格と、今、目の前にいる弟さんの性格は、ずいぶん違う、ということは、ものの10分もしないうちに分かった。
郷土愛も強い。
「刺身、食べて食べて。うまいでしょ?」
実際に美味しかった。
魚の名前は島の名前がついていて、もはや覚えていない、、、
「温かいところで、魚がこんなに美味しいと思いませんでした。」
寒い海の方が、魚は脂がのる。
でも、徳之島の海で取れた魚は全部美味しかった。
「醤油もつけて。そ、たっぷり。」
九州の醤油は、甘口とか旨口と言って、なんだか変に甘い。
いまだにサッカリンなどが入っていて、そこは相容れないところだったが。。。
「じゃがいもは、でじまが良いの?そっかあ。島ではすっかりもう”にしゆたか”が中心になったからなあ。でも待って。少し作ってるから。」
ぽんと膝を叩いて、名古さんがいう。
「そうだ、2~3月の人参。この人が作っとった!」
「お。うん、作ってるよ。うまいよ~。品種は、なんだっけな、向陽2号かな。」
「良いですね~。ぜひお願いします。」
「それからね~ちいちゃいサイズのじゃがいも。皮が薄くて、香りがあって、美味しいから。これをぜひ使ってみてほしいんだよね~。」
「良いですよね。」
「わかった!今度送る。20㎏箱に詰めて、出来上がったら送るから。」
「あ、いや買いますよ、大丈夫です。」
「あ、じゃあ、運賃だけもってもらおうかな。2月。2月には送れるから。」
昼間もそんな話をしたような…?
「それからね、アボカド。」
「アボカド???」
メキシコからの輸入品が多いアボカド。
実は、沖縄や和歌山県、愛媛県などでも、少しずつ作られるようになってきた。
りょくけんでもすでに取り扱っているが、圧倒的に数量が足りない。
海外から輸入されるアボカドは、長期間の輸送に耐えられるように、少し熟度を浅めに収穫する。
ところが、日本で育てると、ぎりぎりまで木の上で熟度を上げることができる。
そうして、きちんと追熟させると、本当に、まさに森のバターにふさわしい味になる。
「国産のアボカドは、本当に美味しんですよ~。ぜひ譲ってください。」
「待って。植えたばっかりだから、3年。3年待って。良いもの作るから。」
「はい、ぜひ。どのくらい植えたんですか?」
「50本。」
「50本!?本当ですか?」
「本当よー。みんながやり始める前に、てめえで始めようと思って。品種は、川平2号と、ハスも植えたっけな。5種類くらい植えた。」
川平2号は、沖縄の石垣島の人が育種した国産品種である。
これは楽しみだ。
「レモンも植えたからね。これも3年待って。品種は、ユーリカ。」
「そういえば、誕生日らしいじゃないっすか!おめでとうございます!」と義山さんに水を向けると
「あ、忘れてた、そうそう、誕生日。」
「いくつになったの?」と名古さんが義山さんに聞く。
「41歳。」
「あ、同い年です。」と私。
「え?同じなの?」と驚く一同。
名古さん(左)、吉山さん(右) |
そんな話やら、農業についてやら、家族の話やらをしていたら、あっという間に5時間がたってしまった。
会計に行くと、やたら若い女の子がレジ業務を行っている。
「もしかして中学生?」と冗談のつもりで聞くと、「はい、中学一年です。」
「え!?」とあっという間に真面目になった。
聞けば、お店の大将の次女だそうな。
徳之島では、子供たちが親の仕事の手伝いをするのは、珍しいことではないらしい。
そうやって、社会性を身に着けていくのだという。
とはいえ、24時に近く、ここは飲み屋さんである。
これは、賛否が分かれるところなのかな、とも思った。
かくいう私も、8歳の長男に仕事を手伝ってもらってしまっているのだが、、、
「しかし、名古さん、本当にたくさんの方を知ってますし、農家をしていないのに、農業や品種のこともよくご存知ですよね。」
名古さんは、実は市役所に勤める公務員。
市が第三セクターとして伊仙町に作った、直売所施設の管理や営業を担当していた関係で、農家のネットワークが強くなったそうだ。
当時は、自身も農業にかかわっていたのだとか。
義山さんが、いつの間にか友人を電話で呼び出していて、その方の車で、ホテルまで送迎してもらってしまった。
「また、島に来てください。」
「はい!」
出張一日目。
長い長い、実りの多い一日だった。