フジテレビ系のカンテレのセブンルールという番組で、お付き合いのある農家さんが紹介された。
映像もきれいで、質感のある感じで、好感の持てる内容だった。
東日本大震災の後、良い椎茸の生産者を探していた。
菌を植える、原木にまで責任の持てる方が、前提条件だった。
そこでお会いしたのが、樵(きこり)でもあり、椎茸の生産者でもあった、齋藤さんだった。
今回、番組でご紹介された娘さんのお父様である。
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齋藤さんご夫妻 |
柔和な笑顔で、奥様とも仲が良く、お二人で山の中を案内してくださった。
「ここいらには片栗の花が咲いてね。お、西明寺栗って知ってるか?」
と言われて、初めて栗も扱うようになった。
片栗の原生林の中に、栗の木があり、「日本一大きい栗だ。」と誇らしげにしていたっけ。
「何かつくって欲しいもの無いか?なんだか、ここいらで作ると何でも美味しいんだ。」とにっこり。
「なんだか知らないけれど、ここらで作ったものは”美味しい”って言われる。」
確かに、そのときいただいたかぼちゃも美味しくて、栗やきのこを作る方が、かぼちゃを作っても美味しくなる、という道理や常識が、僕の中には存在しておらず、とても不思議だった。
けれど、事実だった。
そして、そのとき、とても嬉しそうに話していたのが、
「娘が農業を継ぎに家に戻ってきてくれるのサ。」
ということ。
「自分も絵描きを目指して東京で美大生をやっていたけれど、娘もそうで、、でも今度戻ってきてくれるって。」
ところが、お父様と取引を始めて、半年後。
「いやあ、癌が見つかってね。でもいろいろ努力して頑張るよ。」
その、療養のひとつが、岩盤浴だった。
齋藤さんのご自宅近くに”玉川温泉”という岩盤浴のメッカみたいなところがある。
齋藤さんは、そこに足しげく通って、直る努力をなさっていた。
ある日のこと。
同僚から電話があった。
「ニュース見て。玉川温泉でなだれがあったって。その3人の犠牲者の中に齋藤さんの名前がある…!」
信じられなかった。
そこから、娘さんとのやりとりが始まった。
銀座店にも、よく顔を出してくださり、年に2回くらい、販売応援に立ってくれる。
私も、2014年に会社を引き継いでから、いろいろなことがあったので、
「りょくけんは、全国の農家さんで支えられています。
でももし仮に、突如、農家さんから”もう出さない”って言われたらどうしよう?
という恐怖感があるんですよ。」
と吐露したことがある。
それを聞いた齋藤さんは、
「大丈夫ですよ、そのときは、私が全部つくってあげます。」
と笑って言ってくれた。
なんだか、とてもほっとしたのを覚えている。
栗もさることながら、冬には、巨大な椎茸「絹」も始まる。
これもまた、楽しみだ。