ほぉ、こう来たか。
そういう結末。
期せずして、ハッピーエンドだった。
舞台の余韻に浸って、ドアを抜けると、すぐ受付ロビー。
役者さんたちが、友人知人、あるいはファンの方と話している。
信繁役だったKさんに、軽く会釈すると、かなり驚いた様子だった。
私も話したかったが、電話が気になっていた。
建物を出ると、雨だった。
さほどでもない、と折り畳み傘を開いて、携帯電話を見た。
中目黒駅まで歩いていくと、どんどんと雨脚は強くなる。
着信2件。
メール2件。
すぐ折り返しの電話を入れると、長野のぶどう農家 平林さんだった。
私より2~3歳上の若手の農家さん。
ずっとお世話になっている松崎さんの長女のお婿さんだ。
ご縁があるもので、西武池袋本店の紳士服に正社員で勤めていたそうで、我々が出店していたときにも、何度か見ていたそうだ。
脱サラして、松崎さんの畑を譲り受け、ぶどうを作っている。
少し前に、松崎さんから、「露地のピオーネなんだけどさ。娘夫婦にあそこの畑は譲ったから、ちょっと直接話してくれないか?」と言われていた。
「道路の向こうの、りんご畑の横の畑ですか?」
「そうそう。あそこは娘婿にやっちゃったんだよな。」
「分かりました。平林さんですよね? 話してみます~。」
平林さんは、農業経験がない分、ぶどう棚を建てず、マンズレインカット農法という、日本では新しい考えの栽培法をとっている。
マンズレインカット。従来の横に延ばす方法ではなく、トマトのように縦に仕立てる方法。 |
劇を見に来る前に、電話で話しており、なんと、露地のナガノパープルが最盛期と聞いたので、ぜひ譲って欲しい、しかも今日、できれば出荷して欲しいことを頼んでいた。
「ぶどうは暑いときにあまりとらないほうがよいから、夕方、涼しくなったらとってみますね。また、電話しますよ。」と有限実行、電話してくれていたのだ。
すみません、舞台を鑑賞してましたとも言えず。。。
「今日、無事に出せましたよ~。で、迷ったんですけど、常温で送りました。また様子を聞かせてください。」と優しい声。
ありがたい限りである。
特に、露地のナガノパープルは、ここ数年、玉が割れてしまい、まったく物にならなかった。
ハウスのナガノパープルは毎年、松崎さんのものを取り扱わせてもらっていたが、露地は久し振りだ。
ちょっとうきうきした。
もう一件の着信に折り返したが、着信音はなるものの、お出にならない。
新規の、というか8年前にお会いした農家さんに、いよいよお取引をお願いして、その初の荷物が出るタイミングだった。
メールの2件を確認すると、その農家さんからだった。
”大森さん、すみません。とうもろこし、20日着もできそうにありません。23日着からできるかどうか。”
”母が亡くなりました。地元に戻ります。予定まだ決まってません。”
あ。
複雑な気持ちが、心を襲う。。。
携帯電話の液晶画面が雨でびしょびしょになっていく中、一生懸命、返信した。
地元が近く、年齢も近い、シンパシーを感じる農家さん。
初出荷がそういうタイミングになってしまうなんて、、、
しかも、せっかく電話で連絡をくださったのに、私は、電話に出られなかった。
自己嫌悪ー。
自宅には、19時半ごろに着いた。
久し振りに、妻と息子たちと夕食をともにした。
会社も家も、しっかり守って生きたい。
豊臣秀頼や、徳川秀忠、そして真田信繁の物語を見て、また強く思った。