車で3分くらいのところ、怪しげなゲートの前に車を停め、ゲートを開けると怪しげな敷地が広がる。
怪しげな小屋の後ろには、手前から奥までびっしりと緑の果樹が植えてある。
白イチジクである。
「白イチジクだ~」
各々スタッフさんがかじりついて見ているので、「次郎さん、すみません、このイチジクの来歴なんぞご紹介いただけないでしょうか。」と解説をお願いした。
永田さんは、永田農法の提唱者である永田照喜治のご子息。
次男で、前りょくけんの社長である。
経営を退いてから、ここ3~4年すっかり農業に従事し、急激にに成果を上げつつある。
「このイチジクの来歴は、昔、昭和天皇が、フランスを訪れて、ヴェルサイユ宮殿に招かれたときの晩餐会で出された生ハムイチジク。
この生ハムイチジクのイチジクがとても美味しかったんですね。
昭和天皇に同行していた、今はもう無くなった神田万惣の惣兵衛さんがいたく気に入りまして、このイチジクは何だ?と聞いたところ、そのヴェルサイユ宮殿になっていたものだったんですね。
帰り際に、本当は法律違反なんだろうけれど、譲ってもらったのが始まり。
惣兵衛さんから、私の親父ですが、永田照喜治が譲り受けたんです。
ところが、何かの混乱で、”枯れてもう、この世には無い”と思っていたところ、穂木を渡していた大分の農家さんのところにまだあり、再度また譲ってもらったという代物です。」
照喜治さんの生前、聞かされていた話と違う、、、
―いや違わない?
私が聞いたのは、ヴェルサイユ宮殿から譲ってもらった穂木が新宿御苑にあり、それを、鹿児島大学の何某という方から、照喜治さんが譲ってもらった、ということだった。
良く分からないが、来歴は間違いなくフランスからで、天皇家も関連のあるところから、この浜松にやってきた、ということか。
もうひとつ、僭越ながら補足させていただけるのならば。
照喜治さんや次郎さんのご自宅で、庭木のように植えてあったのを、りょくけんの自社農場的なルーツファームという農場で露地部分に移植し、拡大した。
今と同じくらいの木が植えてあったのだが、高コストに悩んでいたルーツファームを閉めた際、イチジクの木は放置されてしまった。
「土地が売却される前に、なんとかあのイチジクだけは移植してください。
僕も周知の農家さんに頼んでみます。」
と懇願したのは私だった。
「お、見つけといたゾ。」
数日後にあっという間に話を決めてきたのには、驚いたものだが。
社長としての交友関係を活用してのことだった。
移植先は建設会社の引退した社長さんの遊休地。
今、そこで立っている場所だった。
夏実 |
「もう実がなっていますが、食べられるんですか?」
答えは否。
イチジクは1年に2回の収穫時期がある。
すなわち、夏実(なつみ)と秋実(あきみ)である。
夏実は、これから梅雨の雨を受けて膨らむだけ膨らんで食味が落ちていく。
秋、8月の末から10月くらいまでに収穫する秋実がずっと美味しい。
害虫も多い。
「枝を白く塗ってあるのはなぜですか?」
「カミキリムシが登ってきて木をダメにするんだけれど、白く塗ると、なぜか登らない。」
「へえ~」と一同。
害獣も多い。
「熟してくると、まずは、ハクビシンがやってきて、食べてしまいます。」
何か発生すれば、何か対策を打つ。
「害獣対策に、音のなる機械を買いました。それこそ、ピストルの音だったり、パトカーの音だったり、近づくと、いろいろな音が出る機械です。」
「その次に、今その竹やぶで鳴いてますけど、鳥がやってきます。」
「今度は飛ぶやつですか、、、」
「今度ややられないように、一つ一つ、袋をかぶせました。白い袋で覆うと、なぜか、鳥は取らなくなります。」
「見えなくなるんですかね~」
「そこまでイチジクに対してやる、のは普通なんですか?」
「いや、普通じゃないです。こんなことは桝居ドーフィンではしないです。」
「へえ~」
「さ、じゃ、つぎのところへ。」