塩島さんにお会いした十字路を戻って、農免道を進むと、そこらじゅうが畑で、あちらこちらにぶどう畑もある。
後で分かったがそのほとんどが塩島さんの所有である。
予想以上に農家が多く、葉野菜に防除をしていたり、畑の片づけをして残渣を燃やしたり、せっせと畑仕事を行っていた。
ほとんどの方が兼業農家だそうで、日曜日だから、畑に出ている人が多かったようだ。
若い子が珍しいのか、はたまた他所者が珍しいのか、少々強く、視線を感じてしまう。
もっとも、男子3人を連れている男性は、都会でも視線を浴びるので、慣れているといえば慣れているのだが。
小高い丘がひょこひょこと見受けられる。
そういえば、この辺りは縄文遺跡や土器が出土することで有名。
小高い丘はすべて、当時の実力者たちの古墳、王墓である。
農免道が少し狭まったところに、塩島さんのぶどう畑があった。
「ここは今日防除してなかったから、ぶどうがとれるわよ。もう終盤なんだけれど。」
1反くらいの畑に、大きな大きなぶどうがまだ結構なっている。
通販のぶどう出荷の時に、さんざん重さの調整には苦労したので、一目で、その重量が分かる。
700g~1㎏ある房が、かなりある。
「これがグルカンローズ。ちょっと今年は色がつかなかったんだけれど、これをとってみましょう。旧ソビエトの品種とかいじの掛け合わせ。ここをこうやって、と」
当然ながら、慣れた手つきで大きな房にハサミを入れて、収穫してくださった。
もとい、「僕もやる~」という輩が約3名。
棚は低く調整されているとはいえ、2~7歳の身長にはやや高く届かない。
「そうだよね、取りたいよね。待ってね。台を持ってくるから。」
塩島さんが優しすぎて、かなり申し訳ない気になってしまう。。。
「あっちもとってみましょう。」
と畑を少し移動。
「これはウィンク。かわいい名前で美味しいんだけれど、名前に似つかず、大きいの。詰め合わせを頼まれると、いろんな種類を入れられないから本当に申し訳なくて。」
濃い紫色の本当に大きなぶどう。
待望のぶどう狩りにありついた次男は剪定ばさみを手にして、ぶどうを切ろうとするが、ツルが丈夫でなかなか切れない。
少し手伝って、ハサミを握らせて、ようやく収穫完了。
自分の顔くらいあるぶどうを収穫して、若干圧倒されている。
それなのに「食べたい!」というのはもっぱら私と長男だけで、警戒心の強い次男と三男は、なんだか口にしない。
やっとこさっとこ食べ始めた次男は、種が気になり、かむと「にがい~」と叫び、それからは口にしなかった。
「そっかあ~。種が気になるかあ。今の子は、種がダメだっていうもんねえ。私たちはかまずに、飲み込むの。ほら飲み込んじゃいな。」
色づいていても色づいていなくても、どのぶどうも甘く、美味しい。
レッドヘレネスコール |
「あ、これも。」
「あ、ヘレネスコールも。」
「あ、かいじも。」と、食べきれないくらいのぶどうを収穫。
かごいっぱいに入ったぶどうに、うれしい気持ちと、本当に申し訳ない気持ちが交錯…。
帰り際にも、そこかしこにある塩島さんのぶどう畑に立ち寄ってくださり、翠峰(すいほう)とネオマスカットも収穫してくださった。
この、ネオマスカットが侮れない。
詳しくは、また個別にレポートしようと思う。
塩島ブドウ園の一角。 |
そしていよいよキウイ畑へ!