りょくけん東京

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コラム

照喜治さんと私4。

だが、照喜治さんには、会えなかった。

出会えた人もいる。
販売部長こと、照喜治さんの長男、永田まことさんである。
野菜の師匠、と私が崇める人だ。
週に一回、商品会議のために、浜松から東京まで来てくださっており、いろいろな話を2時間にわたって聞けるので、いつも楽しみにしていた。

ユニクロの資本力もあって、最大6店舗、ネット会員は2万人集めたユニクロの野菜事業「SKIP」。

私が入社した時にはすでに迷走中だったと言ってよい(関係者の皆様すみません)。
莫大な契約量の野菜くだものは、完全に過剰供給で、どうしたら、その余った野菜を処分できるか。

会議ではそんな話ばかりだった。

本社は、渋谷の一等地にあったが、すぐに府中へ移転。
大志をもった人が一人、また一人と加わっては、会社を去っていった。
お金はなく、すぐにジリ貧になった。

蜜月関係にあったはずの、照喜治さんとSKIPはいつの間にか離れていった。
月々の顧問料が支払えなくなってしまったからだと何となく聞いている。
まことさんも、いつの間にか、府中にはいらっしゃらなくなり、自分も本部ではなく、店舗に移った。

私は産地に行きたくて行きたくて、農家さんのこと、農業のことを勉強したくて仕方なかったが、そんな出張費は捻出されず、必死に売り上げを上げようと店舗に立っていた。
だが、信頼できる仲間に、そこで会えたのは、私の一つの財産となった。

SKIP東武池袋店

店舗に異動して半年たった頃ー。
照喜治さんはおろか、産地に行くこともなく、SKIPは解散が言い渡された。
準備期間を除くと、実働1年もなかった。

崩れ行く会社は、こんなにももろいものか、と痛切に感じたものである。
私は自ら会社を去ることはしなかったが、3週間を残して、明日から来なくてよいよ、給与は、退職金代わりにそのまま支払います、という有難いような、そうでもないような言葉を残されて、退職した。
とはいっても、会社に残ったのは、大量の残務整理を任された会計の方だけで、私が手伝えるようなことは無かったのだと思う。

「お前は商売に向いていない。」

と神様に言われた気がした。