「雨、降ったっけな?」
青いネット越しに、石原さんのなす畑を覗くと、畝と畝の間が、水でひたひたになっていた。
じゃがいもやトマトの原生地である、南米アンデス地方と違い、日本は、原産とする野菜は少ない。わらび、こごみ、わさびやみょうがなどに限られる。
野菜の原生地は、乾燥した場所が多い。アンデス、中央アジア、カラハリ砂漠。日本の、温暖で湿度の高い気候は、野菜には向かないのかもしれない。
日本の野菜の歴史を紐解けば、本来、不向きだった野菜を、日本の気候でも育つようにした先人達の努力の積み重ねに尽きるのだ。
そんな野菜の中でも、なすは稀有な存在だ。古くから日本に流入し、遅くとも、平安時代には定着したと言われている。
なすの原生地は、インドだ。
日本と同じく、高温多湿な環境で生まれ育ったなすは、日本の環境に適応し、多くの派を生んだのだろう※。
緑健農法とか永田農法では、水を極力与えず、肥料も極力与えない、とよく形容される。
だが、それは正しくない。
正しくは、水分と肥料の量をコントロールする、だ。
乾燥した高原の気候で生まれたトマトであれば、水分は抑えたほうが良いが、なすは別だ。むしろ、水も肥料も大好きだ。ただ、大好きだからだと言って、たくさん与えると、肥満になってしまう。消化し切れなかった肥料分は、そのままなすの体内に残り、アクとなってしまう。
だから、少しずつ。
少しずつ肥料を効かせるのが、良い。
「『収穫のたびに、スプーンいっぱいの肥料をやれ。」と父が良く言ってましたね。」
全国には、永田照喜治が言わずとも、そのような栽培方法にたどり着いている方がいる。傲慢かもしれないが、亡き石原 慶吉さんもその一人だろう。
「ちょっと待っててください。水を抜いて来ますから。」
そういって、慶一さんは、畑の奥の方に向かった。
―雨なんか降っていない。朝4時から女子サッカー決勝を見ていたが、そんな気配はまったくなかったし、何よりも、ここまで来るまでに見たなす畑の土はとても乾いていた。
「水、やったんですね?」
「そう。これやらないと、『ボケなす』って言うだけど、こういうツヤのないなすが増えちゃうんです。それと、土の中の有機肥料分を分解させて、根に吸収させる為にも、水分は必要なんです。」
有機肥料は効き目が遅い。
その形のままでは、植物は吸収できず、むしろ、環境破壊に結びつく。水や光、微生物の働きによって分解され、植物が吸収できるようになる。
化成肥料が画期的だったのは、すぐに植物が吸収できる形になっていることだ。効き目が早く、即効性がある。
農家さんの腕は、このコントロールにかかっているといっても過言ではない。
石原さんのやり方は、有機質の肥料を少しずつ吸わせて、不足する時には、即効性の化成肥料を与える。完全消化できるので、なすにはアクが残らない。
そういえば、畑の周りにネットが張ってあるのも珍しい。風が吹くと、葉が実に当たる。皮のやわらかいなすは、それだけで傷がつき、価値が落ちてしまう。ネットは、風があまり吹き込まないようにする工夫だ。
葉の間引きも欠かせない。
『葉かき』をすることで、実にも良く日が当たり、風が吹いた時の擦れも当然少なくなる。
また、樹は不思議なもので、葉がなくなると、限られた養分を、子孫に残そうと、種のある実に持っていく。だから実が甘くなるのだ。
やりすぎると、樹自身が枯れてしまうので、これもコントロールが重要だ。
「こうしておくとね、なすがね、まるで『とってください』と言うかのように、顔を出してくれるの。だから、収穫が楽なの。」と梅子お母さんが言う。
傷が少なく、甘みが出る。良いことだらけだ。
ふと、慶一さんが、なすの花をひとつひとつ取り始めた。
「『何でそんなにちまちまのんびりやってるだ?』と妻に聞いたら、父に『こう習った』って言ったですよ。自分も聞いたかもしれないけど、肉親の言うことだから、あまり聞かなかった。」
枯れた花が、まだ小さななすのお尻に着いていると、傷がついたり、花の中に虫が入っているかもしれないので、それを防ぐのだという。
←一般の畑。葉が混んでいる。
←葉がスッキリしていて日が入る。畝間も広い。
お会いしたことはないのですが―。
慶吉さん。
想いや、技術は、しかとみんなに引き継がれていますよ。
そんなことも伝えながら。
このなすを多くの人に伝えたい。
■なす 山梨県産 1袋