たまごアレルギーの原因のひとつが、いわしなどを粉末にした魚粉をえさにしているためだ、と提唱した人がいた。
スウェーデンのダニエルソン博士である。
ストックホルム生協では、その考えに基づいて、すでに魚粉を排除したたまごを販売していた。
その取り組みを見学に行きましょう、ということで、永田照喜治と出会ったのが佐々木さんだった。
「高知の酒米の取り組みで、永田先生がきとってね。たまたま、『たまごでも面白いことをしている人がおる』と友達が永田先生を連れてきよったんよ。」と高知の窪川の緑が広がる鶏舎の事務所で佐々木さんが懐かしそうに話してくれた。
「たまごを食べてもらう上で、アレルギーの問題が、どうしても立ちはだかる。ならばそれを解決する方法がないか?と考えちょってね。それで、そういうことを言っている人がいる、ということで一緒にスウェーデンまで行きよったんよ。」
魚粉のすべてが悪いわけではない。現在では冷蔵便の技術も進み、南米から赤道を超えて日本にやってくる魚粉にも、おそらくは変質の少ないものもあるだろう。
が、当時は考える人もいなかった。
ダニエルソン博士に会い、そうかなるほど動物性のえさを与えなければよいのか、と挑戦を開始した。
始めは、野菜だけを与えた。
そうしたら、なんとたまごを全く産まない。
一週間に1回くらいだった。
これではまずい、とタンパク質や炭水化物の多い野菜も与えた。
そうするとやっと産みはじめ、適切な割合を導いた。
そのたまごを、知り合いのたまごアレルギーの方に食べてもらうと、症状が出なかった。
実際、全国から感謝の言葉をいただいたそうだ。
「食べられなかったのに、このたまごなら食べられる。」と。
他でもない、りょくけん松屋銀座店の元店長も、たまごを食べると蕁麻疹が出て、体中がかゆくなるアレルギー症状を持っていたが、りょくけんのたまごは大丈夫だった。
長崎のレタス農家、渡部さんもその一人。
「本当にたまごが食べられるようになって、佐々木さんと永田先生には感謝している。」とありがたい言葉をいただいている。
私がりょくけんに入社したころは、規模拡大のため、福島のアグリフーズとサカイフーズという二つの鶏舎に委託していた。
が、震災が起きて、両鶏舎ともに被害があり、たまごパック製造の工場や、えさを作る工場も被災。
福島での生産を休止せざるを得なくなった。
そこで再び白羽の矢を立てたのが高知の佐々木さんだった。
「困ったときはお互い様じゃき。」と快くたまごの供給を受けてくださった。